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ごらんあれが竜飛岬北のはずれと見知らぬ人が指をさす。
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渡島大島・小島。
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小島。
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松前半島(北海道)。
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小泊方面。
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龍見橋(平成6年10月竣功)。
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太宰の道とあります。
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下から龍見橋。
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遠くから龍見橋。
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舊函館要塞重砲連隊第二中隊。
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北部七一部隊第二中隊観測所跡…『大東亜戦争中は主砲15糎加農砲四門を配備し四門の所の砲座と観測所は頑丈な地下豪により連結され敵の損害を最小限度にくい止めるためであった。』
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北部七一部隊第二中隊第三砲座跡…『自昭和12年12月8日至昭和20年8月15日間大東亜戦争中は主砲15糎加農砲四門を配置し兵員は中隊長以下300名北の防人として勤務したものである。』
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北部七一部隊第二中隊第四砲座跡…『自昭和12年12月8日至昭和20年8月15日間大東亜戦争中は主砲15糎加農砲四門を配置し兵員は中隊長以下300名北の防人として勤務したものである。』
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津軽要塞重砲兵聯隊龍飛砲台跡。
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終戦50周年記念龍飛戦友会建立(平成7年8月15日)。
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吉田松陰先生詩碑。
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『去年の今日巴城を発す楊柳風暖かに馬蹄軽し今年北地更に雪を踏む寒沢卅里路行き難し行き盡す山河万の夷険滄溟に臨んで長鯨を叱せんと欲す時平かにして男子空しく慷慨す誰か追ふ飛将青史の名』
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『吉田松陰先生 幕末の大先覚 三十歳安政の大獄に刑せらる 門下の英傑みな維新の大業に参ず 先生二十三歳西暦一八五二年早春盟友宮部鼎蔵と共に東北の海防を実地踏査せんと小泊より残雪を踏みて竜飛の南方算用師峠に到り憂國の至情を詩に託す 嗚呼 昭和41年10月3日 有志一同』
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大町桂月文学碑。
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『東西の浪闘ひて霰かな。大正11年11月竜飛にて。桂月』
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龍飛岬…『概して我国の太平洋に面する海岸は砂浜の連続なるが、日本海に面する海岸は断崖の連続也。その日本海に面する本州の海岸の北に尽きむとする処、小泊岬よりその特徴を発揮して、その全く尽くる処、茲に龍飛岬となりて、北に突出す。頂上は草の山にて、望楼の跡あり、手を伸ばさば、北海道の山も攫み得られむとす。福山の市街も判然と見ゆ。後を見れば、高原的の低山波涛の如くに連り、右に小泊岬、左に恐山半島、四方の眺望開けたり。見下す千仞の断崖の下、一大盤石横はり、中間に一条の吉井水道ありて、偉大なる巌の帯島に連る。西風強き日とて、巨涛日本海より押寄せ、怒って龍飛岬を打ち、帯島を打ち、幾個の小岩島を一と呑みにす。余波大盤石の上に躍る。津軽海峡の方よりも小波押寄せて、日本海の波と闘ふ。龍飛岬下の大盤石は、唯西波と東波との戦場也。龍飛岬は常に波高きが、最も高き時は四五丈に及ぶと聞く。余が遊びし時は一二丈の高さなりしが、それにしても壮観也。殊に大盤石の上の波と波との戦闘は、天下無双の奇観也。陸奥の海岸線より。大正11年』
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『明治、大正期の文人大町桂月は大正11年11月三厩村に来遊し、「龍飛岬」の紀行文を著わす。来村75年にあたり記念文学碑を建立する。平成9年7月吉日。三厩村長柳谷光雄』
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『龍飛岬立てば風浪四季を咬む』(昭和41年5月吉日)川上三太郎。
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『陸はつる海の光に草山は黄菅の花の輝くあはれ』(昭和45年7月5日)佐藤佐太郎。
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トンネルじん肺根絶の碑。
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『あやまれ つぐなえ なくせ じん肺』。
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青函トンネル工事殉職者慰霊碑(日本鉄道建設公団総裁永井浩)。
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青函トンネル工事略歴碑。
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1946年4月地質調査開始。
1953年8月鉄道敷設法予定線に追加(三厩・福島間)。
1964年3月日本鉄道建設公団発足。日本国有鉄道から調査業務を引継ぐ。
1964年4月基本計画(調査)の指示
1964年5月北海道側吉岡斜坑掘削開始(公団直轄)。
1965年8月工事実施計画(調査)の認可。
1966年3月本州側竜飛斜坑掘削開始(公団直轄)。
1971年4月基本計画(工事)の指示。新幹線設計の指示。
1971年9月工事実施計画の認可。今別町浜名・知内町湯の里間。
1972年3月海底部の請負工事着手。
1973年1月陸上部の請負工事着手。
1978年10月北海道側陸上部全貫通。
1981年7月本州側陸上部全開通。
1983年1月先進導坑貫通。
1985年3月海底部本坑全貫通。
1986年9月レール締結完了。
1987年7月架線接続完了。
1988年3月竣功。
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帰りにあじさいロードを通っていたら、たくさんの猿に囲まれました(笑)
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生意気にも逃げる気ゼロです。
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