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御祭神は保食神。
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稲荷宮・地蔵堂・弁天宮の三社の例大祭として例祭をしていますが、弁天宮は竜浜崎弁財天宮として宝暦10年の社堂惣調書上帳に見えます。
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文政7年の神社書上帳では竜浜崎弁天宮と同村稲荷宮が並んで見えます。
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ちなみに竜飛と竜浜はいずれもアイヌ語のタップの表記と思われますが、岩木山に祀る多都比姫とも習合したものなのか、例祭ではサイギサイギを唱えます。
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社殿内。
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本殿と狐様二対。
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獅子頭。
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太平記で有名な桜井の訣別・桜井の別れ。
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帯島・漁船・弁天宮(平成21年4月)。
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9月21日午前8時頃、外ケ浜町三厩龍浜にて、住宅など14棟が全焼しお亡くなりになられた方もいました。心からお悔み申し上げます。直前の18日には龍浜地区の稲荷神社、地蔵堂、竜飛弁天宮に豊漁や地域の安全を祈って神楽を奉げる三社祭があったばかりでした。
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写真からもわかると思いますが、私が訪れた日も18日です。まさか自分が訪れた三社祭の日の直後にこのようなことになるとは思いもしませんでした。よりによって私は同地区の奥谷旅館横にある地蔵堂と勘違いしており、全焼した地蔵堂を訪れなかったのですが、ニュースによると地元町内会で管理していた地蔵堂は全焼。焼け跡から地蔵様の姿を確認できなかったそうです。
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地蔵堂は毎月地区の女性たち約10人が集まり、お供えをしたり、持ち寄ったお菓子等を食べながら談笑する憩いの場でもありました。地蔵堂は戦前からあり、堂内には高さ150cmほどの石の延命地蔵のほか、石地蔵2体、木製の仏像2体も収められていたそうです。ある女性は火災直後に地域を見守ってくれた地蔵様に早く水を供えたいと語るも地蔵様は見つからず。あれから地蔵様は見つかったのでしょうか。弁天宮は海側にあるので大丈夫でしょうが、当稲荷神社は無事だったのでしょうか…気になります。
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