坂東第四番札所長谷観音。
山門。
山門付近の石碑。
長谷寺…『●宗派:単立(浄土宗)●山号寺号:海光山慈照院長谷寺●建立:天平8年(736)●開山:徳道上人。本尊の十一面観音像は日本最大級の木造の仏像です。寺伝によると、開山の徳道上人が大和国(奈良県)初瀬の山中で見つけた樟の巨大な霊木から、二体の観音像が造られました。一体は大和長谷寺の観音像となり、残る一体が衆生済度の願いが込められ海に流されたといいます。その後、三浦半島の長井浦(現在の初声あたり)に流れ着いた観音像を遷し、建立されたのが長谷寺です。境内の見晴台からは鎌倉の海が一望でき、また、二千株を超えるアジサイをはじめ、四季折々の花木を楽しめます。』
長谷寺境内(境内にある文学碑を紹介します。)…『○高山樗牛記念碑「高山樗牛ここに住む」宮本和吉書。裏面「樗牛高山林次郎は1871年(明治4年)山形県鶴岡に生まれその文明批評は識見と情熱をもって一世に聞えた。1901年秋よりこの地に住み1902年12月24日平塚杏雲堂病院に逝く 1959年5月 建碑世話人(後略)」31歳で天折した樗牛の著作は博文館版「樗牛全集」全7巻に収められている。○高浜虚子句碑「永き日のわれらが為めの観世音」虚子。俳人、高浜虚子は1874年愛媛県に生まれた。正岡子規に兄事。「ホトトギス」を主宰して花鳥諷詠を提唱した。1959年に鎌倉で死去。代表作に「五百句」「虚子俳話」がある。○久米正雄胸像。小説家、久米正雄は1891年長野県に生まれた。東大在学中に芥川龍之介、菊池寛らと第三次、第四次「新思潮」を創刊。夏目漱石門下となる。後年は流行作家として活躍。三汀と号して句作もした。1952年に鎌倉で死去。代表作に「破船」「学生時代」がある。像は、昭和29年鎌倉ペンクラブにより建てられた。○大野万木句碑「観音の慈願尊し春の飴」万木。裏面「時めく大政治家前衆議院議長国務大臣大野伴睦氏は、一面純情高節の人である。氏が俳句作家の万木であり、慈悲の権化観世音菩薩の信者であり(後略)」1953年6月8日建てられた。平成6年12月鎌倉文学館』
境内図。
手水舎。
妙智池。
放生池。
石段を上って行きます。
弘法大師碑。
灯篭。
良縁地蔵。
千体地蔵。
『水子や、先亡諸霊の供養のために奉納されます。ご希望の方は観音堂へお申し出下さい。ご供養される方へ…数年おまつりした、お地蔵様は、浄火供養のお焚き上げをしておりますが、ご供養は、続きますのでご安心下さい。尚、お参りは、ご自分のお地蔵様を探すのではなく観音堂と地蔵堂のご本尊になさって下さい。3月と9月の、18日に彼岸会が奉修されます。どうぞ、ご参加下さい。』
千体以上ありそうな感じ。
水かけ地蔵。
地蔵堂。堂内に祀られていた延命地蔵尊は観音ミュージアム収蔵。現在は福壽地蔵を祀っております。
地蔵堂の裏にも。
地蔵堂前の卍池。
見事に卍の形。
奪衣婆と懸衣爺がおります。
地蔵堂から更に上って観音堂へ。
観音堂。素晴らしい十一面観音像でした。
観音堂左には観音ミュージアム(写真はパンフレットより)。
観音堂右には阿弥陀堂(写真はパンフレットより)。長谷誓願寺(現亡)の旧本尊という由緒を持つ阿弥陀如来坐像は、伝承によれば鎌倉幕府初代将軍源頼朝公の厄災消除を祈願し造立された尊像といわれ、後年「厄除阿弥陀」として諸方からの信仰を集めました。上品上生の印相を示す丈六の阿弥陀像は鎌倉でも稀有な存在で、鎌倉六阿弥陀の一つに数えられています。
阿弥陀堂前の天水桶。
観音堂前の石灯篭。
鐘楼。
梵鐘。こちらは昭和59年に新鋳されたもので、歌人佐佐木幸綱の短歌が寄せられています。ちなみに文永元年(1264)の銘を持ち、鎌倉でも常楽寺、建長寺に次ぎ3番目に古い梵鐘(長谷寺の寺号あり)は観音ミュージアムに移管されています。
以下パンフレットより。年中行事。
長谷寺花だより…『【春】桜・藤・躑躅・牡丹・海芋・山吹・大手毬・石楠花・小手毬・金糸梅・白木蓮・辛夷・海老根・三寸菖蒲・馬酔木・射干・五月・三葉躑躅・吉野躑躅・山野草【夏】紫陽花・花菖蒲・百日紅・芙蓉・百合・凌霄花・岩煙草・木槿・匂蕃茉莉・山野草【秋】萩・桔梗・秋明菊・彼岸花・子福桜・杜鵑草・石蕗・紅葉・山野草【冬】蝋梅・万作・水仙・福寿草・椿・木瓜・梅・山茶花・山茱萸』※HPで定期的に開花情報を紹介しています。
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