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一之鳥居。
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細越大年縄保存会によるジャンバラ型注連縄をここで紹介しようとしたのに肝心のジャンバラがありませんでした(笑)拝殿にはジャンバラがありました。
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御祭神は大物主神、奇稲田姫命。
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細越村には昔から神社が二社あり、上細越にあるのを深山神社、下細越にあるのを三輪神社といいました。
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両社とも氏子があって崇敬していましたが、お宮を中心に一村が二分し平和を欠くことが多々あり、大正5年(1916)に合併して村の中央にて細越神社となります。
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痕跡はありませんが、細越郷土研究会によって建立された生出観音の跡(標柱)と説明案内板が跡地に残されています。こちらはたまたま見つけたのですが、深山神社跡地の方にも何か案内板があるかも知れませんね。
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『●生出観音の由来・生出観音…天正元年(987)創立。慶長時代(1596)水呑五左衛門若狭の国より一族移住し来て附近を開墾し漆新田を創立した時生出の観音を産土として祭ったのが始まりと聞く。・三輪神社と改む…明治6年神仏混合廃止により三輪神社と改名した。祭神大物主神、祭礼旧4月17日。・細越神社に移築…大正5年三輪神社、深山神社合併により細越中央に移築する。●菅江真澄の「栖家の山」の一節…安田村を過れば、山路、花の多かるかたぞ見へたる。みちのかたはらに大なる黒き石のみさか、よさか斗たちが生ひ立るに堂をおほひ造りて、是を生出の観音と唱へ国札うつとて西の寺めぐりにたぐへてくにうとの、もはらまつる処なりとか細越とて、花のとをゝに盛りふる山里のありけり。往かひの袖にちらなんやまさくらなとほそ越のみちもせにさく・生出観音創立の地に祠を建ててこれを記念す。昭和41年4月17日細越郷土研究会』※一応そのまま書き写しましたが、年号等一部誤っていましたので下記の記述を参照下さい。
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三輪神社はもと生出の観音(大石電観音)といいました。創立は不詳といいますが、天元元年(978)創立し、山下源右エ門が神主となり奉斉と伝え、水呑五左衛門が慶長の頃(1596-1615)に若狭国より一族と共に移住して来て、附近を開墾し漆新田村を創立した時に、生出の観音を産神として祀ったといいます(諸説あり)。つまり観音様は地中から生まれ出てきたような自然石だったので生出観音と伝えます。貞享4年検地水帳には讃岐太夫抱えの観音堂とあります。天明年間の工藤白竜「津軽俗説選」には『油川組細越邑に自然石の観音あり、地中より生れ出でたるが如し、故に俗に生出の観音と云ふ。観音の形に似たるまでの石也』とあります。
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一方、深山神社も創立不詳で、はじめは正観音を祀る山伏の修験場であったそう。慶長年間に師龍権現と改称。貞享4年検地水帳では東光坊抱えの権現堂地。
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明治3年に神仏分離によって生出観音は三輪神社に、師龍権現は深山神社に改称しました。
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生出観音の当時の堂の姿は、菅江真澄のすみかの山にて絵で見ることができます。菅江は次のように記しています…「安田村を過ぎると、山路に花が多く見られる。道のかたわらに、大きな黒い石で、三尺か四尺ばかりの生出岩がたっており、それのおおいに堂をつくって、これを生出の観音ととなえ、西国の寺めぐりになぞらえて、国札をうつといって、この国の人々がもっぱら巡拝するところであるという。やがて細越という、花のたわわに咲いている山里があった」。
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菅江真澄歌碑(栖家の山)…『往かひの袖にちらなんやまざくらなとほそ越のみちもせにさく』。
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平成27年合社百年記念碑より…『旅行家、又民俗学者として有名な菅江真澄翁は、寛政11年本県を旅行した。この歌はその旅行記にここ細越を通ったとき書き残された歌とされている。春の盛りとはいえ花々の美しい山里ありけりと記文は、結ばれている。細越神社は大正5年深山神社と三輪神社の合社で創建されましたが平成27年合社100年を記念し往時を顧みんとしてこの碑を建立するものである。平成27年8月細越神社』
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境内案内板より細越神社の由来…『慶長年間、この地域には、大橋村、枝村、中村、細越村、漆新田村、長沢村の六つの集落があった。往時、相次ぐ凶作や災害により、大橋村、長沢村の住人は困窮し、やがて離散し、今は住家も住人もいない。明治の頃、枝村に深山神社、漆新田村に三輪神社があり、それぞれ異なる慣習、祭事があり、それが互いの対立意識を煽り、すべての事に争い事が絶えなかった。事を憂いた若者達は、再三、両神社の合併に依る和平をはかった。遂に、大正五年、地域のほぼ中央の位置に大字名、細越を入れ、細越神社として、両神社の祭神の鎮座を仰ぐにいたった(細越村郷土誌より)。神々を尊び、地域の融和を願い、力を尽くされた先達を偲び、我々も又、その偉業に追従する事を誓い、過ぎし事、ここに記し、建立する。●細越神社の祭神:大物主神、奇稲田姫命。合祀した祭神:馬頭観音、猿田彦大神、三十三ヶ所観世音堂妙堂、青面金剛仏、庚申塔、二十三夜塔。平成十九年八月十五日細越神社氏子一同』
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よく見るとこの案内板には昔の三輪神社・深山神社の位置を描いた古地図が背景に描かれています。
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拝殿のジャンバラ型注連縄。
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拝殿の蟇股。
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拝殿の神額。
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本殿。
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末社。
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倉庫かな。
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ちょっと休憩(笑)
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石灯篭三対(昭和44年6月16日・昭和9年8月・昭和7年5月16日)。
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手水鉢(昭和10年5月16日)。
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一の鳥居修復記念碑(平成元年6月16日)。
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社殿前にある改築記念碑(昭和37年5月16日)。
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御神馬。
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狛犬一対(昭和26年5月16日)。
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狛犬一対(昭和42年8月16日)。
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忠魂碑(明治39年9月8日)。
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案内板から推測するとこれは三十三ヶ所観世音堂妙堂か馬頭観音堂かな。
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石碑が並べられています。
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二十三夜塔。元は三輪神社にあったもの。安政5年建立で11名の名前を刻みます。
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猿田彦大神碑(明治40年旧8月朔日)。
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庚申塔(安政7庚申年5月27日)。
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青面金剛佛碑(文化6年9月1日)。
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當國三拾三所観世音堂砂塔順風自在(嘉永4年5月18日)。
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読み取れなかった碑。案内板から推測すると馬頭観音の可能性有り。
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不明の碑(崩壊しています。ひっくり返せば何かわかるかも。1つは紀年銘大正5年5月17日)。
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