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御祭神は倉稲魂命。
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創建不詳。寛永3年(1626)村中繁栄のために再建。
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貞享4年検地水帳によりますと、右近太夫を社司として7間×6間の社地が見えます。
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安政2年神社微細書上帖によりますと、横内組筒井村稲荷宮一宇、板葺屋根の3尺4面の堂社、萱葺の3間に1間半の雨覆、貞享と同じ東西7間南北6間の社地の他、東西11間南北13間の境内がみえます。 
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明治6年に幸畑村熊野宮と共に横内村大星神社に合祀されるも後に復社。
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平成3年の台風19号により、境内林の杉35本(立木の3割強)が倒木。その後、氏子の努力により植林された若木は順調に生育しており、鎮守の杜は復元されつつあります。
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あなたが魅かれるのはこの金の蟇股ですか?
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それともこちらの銀の木鼻ですか?
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石灯篭一対(大正9年旧8月10日)。
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裏にも参道がありました。
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本殿。
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徳差藤兵衛翁之碑(昭和18年11月3日)…碑文『徳差藤兵衛翁萬延元年四月廿五日東津軽郡原別村小笠原家ニ生ル明治十六年徳差家ニ入リテ父祖ノ業ヲ継ギ農事ニ精勵夙ニ軍事産業上樞要ナル馬匹ノ生産ニ挺身シテ東奔西走巨萬ノ私財ヲ投ジテ種牡馬ヲ拂下ゲ種付所ヲ開設シテ鋭意軍馬種馬ノ改良増殖ニ努メマタ熾烈ナル反對ヲ排除シテ糶賣市塲ヲ經營シ産馬取引方法ヲ根本的ニ改善スルナド津軽産馬振興ノ基礎ヲ築キタリ明治丗六年東津軽郡産馬組合ヲ組識シテ郡長ヲ組合長ニ推シ自ラ副組合長トシテ運営ノ任ニ當リ遂ニ國家ノ要望スルアングロノルマン種系軽輓馬ノ重要生産地區タラシム此間縣産馬畜産組合聯合會代議員帝國馬匹恊會監事及ビ顧問等ノ重職ニツキマタ農林大臣馬政局長官等ノ表彰ヲ受クルコト十數次ニ及ブ寔ニ本邦斯界ノ重鎮タリ翁ハ資性温厚篤實人格識見共ニ髙グ弱冠ニシテ村治ニ盡シ衆望ヲ擔ウテ縣會議員タルコト三期衆議院議員ニ當選スルコト三度縣治ニ國政ニ貢獻セシコト甚大真ニ郷黨欽仰ノ中心タリ依テ青森縣産馬畜産組合聯合會平内産馬畜産組合後援ノ下ニ東津軽郡産馬畜産組合主唱シ碑ヲ建立シテ永遠ニソノ功績ヲ録ス』
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入口付近にある猿田彦大神碑(嘉永7年)。
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猿田彦大神の横にある百萬辺2基(明治15年・昭和15年)。
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