今まで何となく気に留めずにいたのですが、芦野公園に赤い鳥居がありますよね。その鳥居近くに薬師堂鳥居落成記念碑があります。紀年銘は昭和55年10月8日建立。金木郷土史による芦野公園の説明によると、芦野公園付近には三本松の古墳、芦野三十三観音菩薩像、薬師堂、水神宮、弘法大師堂、戦争犠牲者供養堂、妙広稲荷堂などがあるといいます。
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で、鳥居をくぐって明らかに参道っぽい道を真っ直ぐ歩いていくと、石段とちょっと小高い場所があるのですが…特に何もありません(笑)
周囲を見渡すと小祠が1つだけありました。
中央に龍に乗っている石版の女神像。
似ていますが水虎様ではありません。
狐や蛇や龍の絵馬なども奉納されています。
棟札によりますと「赤倉山白龍権現」のようです。薬師堂は…?
ってことで、再び近辺を散歩していると観音像が。番号は振られていません。
で、そこから道なりに遊歩道を歩いてみました。
しばらく歩くと何やら観音堂らしき建物が見えてきました。
子安弘法大師像(昭和32年旧6月1日)。
観音堂。
建物には芦野大師堂とありました。一部消えて読みにくいです。昭和36年8月31日に書かれたものです。
金木郷土史にある弘法大師堂でしょうね。雲祥寺で管理されているようです。
四阿もありました。
戻りまして、「民宿と食事処エンゼル」前ほどに「西国三十三所観世音菩薩」の石碑があります。
紀年銘は大正11年6月です。
この石碑が立っている三叉路を左に進むと、今度は芦野観音堂に着きました。ちなみに芦野観音堂前を左に進むと先程の弘法大師堂に行くことができるようです。但し、踏切を横切るので注意!
松の巨木に囲まれております。
鰐口。
石灯篭一対(昭和58年8月18日)。
三十三観音が安置されているとのことですが、本堂内は暗くて確認できませんでした。
芦野観音堂御詠歌(木人師作)・讃歌(新岡守一)がありました(昭和29年8月16日旧7月18日)。
今回もゆっくり散策できなかったのですが、実は芦野公園及びその付近には色々なものがあるんですね。近くの川倉芦野堂や川倉賽の河原地蔵尊にばかり意識をとられて盲点でした。でもこんなに有名な場所なのに勧請年や由緒等がまったくわかりませんでした。地元の方ならわかるんでしょうね。
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