イメージ 1
旧社格郷社。乳井神社。大鳥居は仁王門跡。
イメージ 2
一の鳥居(宵宮ver)。宵宮なので写真が暗くてピンボケしているのはご了承ください。
イメージ 3
参道。二の鳥居が無くなってる。
イメージ 4
イメージ 5
三の鳥。二の鳥居が無くなったから二の鳥居か…。
イメージ 6
イメージ 7
乳井神社の栞…『○御祭神…武甕槌之命(=毘沙門天堂)、経津主之命、天手力男之命(=戸隠大権現)○祭事暦…1月1日歳旦祭、1月5日(旧暦)五ヶ日祭(七曲がりの柳の杖で無病息災を祈る特殊神事)、4月3日祈年祭(春祭り)、8月2日宵宮祭、8月3日例祭、11月新嘗祭(秋祭り)※33年式年祭=33年に1度、御神体を奉安する逗子の扉を開ける神事(次回は、平成30年8月3日)○由緒…当社は、平安時代承暦2年(1078)8月3日東寺の分客として嘉畳承山福王寺と名付け、当地に伽藍造立をもって創建とされている。以来、「心願成就の守り神」「武運長久」「息災延命」「五穀豊穣の守護」の神として時代の国主や藩主、武家並びに町家商人農村の民衆にいたるまで毘沙門天王のご神託=一度我が前に来たりて一礼をなすものには神力を添えて思いを遂げしめん況して日を重ねて頼まん人に於ておや=に敬神の念篤く、人々の信仰生活に深く関わり、心の頼所として広く信仰され続けて居ります。又、歴代の津軽藩主(初代為信公より12代承昭公まで江戸期全藩主が参拝)にも崇拝され、社領8石5斗を賜り、特に3代藩主土佐の守藤原朝臣信義公は、康永2年天災にて焼失した社殿を312年の時を経て復元を企て、明暦元年8月元の如く再興(現在の拝殿)する等、明治4年(太政官布告をもって神仏混淆の廃止により毘沙門宮の号を乳井神社と改める)廃藩置県にいたるまで、津軽藩直願所として尊崇されてまいりました。現在も妙見信仰(北斗七星参り=7つの神社を参拝)が生きており、当社は最後の参拝所として多くの崇敬者が、願掛け参りを致しております。○伝説…当社には、坂上田村麻呂将軍が悪鬼討伐の砌り、青森市の大星神社浪岡八幡宮・平川市の猿賀神社・弘前市の熊野奥照神社岩木山神社・西目屋村の鹿島神社と当社乳井神社の七柱に剣等をそれぞれに奉納した所、願いが叶ったと言う言い伝えがあります(北斗七星参りの始まりと考えられる)。この時に(延暦年中)、当地出身の南蔵坊(後に大同年中に十和田沼の八大龍を追い出し自ら主となる)が将軍の胸当の御鐘躰をもって安置奉りご草創の処、毘沙門天と戸隠大権現を勧請、奈良時代には、すでに在ったとも伝えられる。又、当所に往古より乳房形の岩より湧き出づる井泉あるが故に村号を乳井(ニウイ)と申すとあり、毘沙門様のご神託でこの井戸の水の色は白々と乳の如く、母乳不足の婦人が飲めば乳汁が充満すると言い伝えられ、その井戸は現存するが、水は涸れている。○文化財(弘前市指定重要文化財)…五輪塔及び板碑群(鎌倉時代)福王寺の遺物・拝殿(明暦元年(1655年・江戸時代))○連絡先…青森県弘前市大字乳井字外の沢67-3宮司山田伴国』
イメージ 8
巨大のぼりが8月2日の宵宮、8月3日の例祭を前に7月31日に拝殿近くの境内に設置されました。
イメージ 9
イメージ 10
巨大のぼりは高さ23mで県内一の高さを誇ります。
イメージ 11
イメージ 12
イメージ 13
これまでは参道や地元で殿様道路と呼ばれる市道沿いに設置されてきましたが、2018年に開く33年おきの式年大祭に合わせて、拝殿の大規模改修を予定しており、近くの杉を伐採したために拝殿近くに設置が可能となりました。
イメージ 14
拝殿前参道と巨大のぼり。毘沙門天王の幟と比較すれば大きさがわかるかな。
イメージ 15
イメージ 16
手水舎。
イメージ 17
狛犬一対(昭和7年)。
イメージ 18
イメージ 19
龍が彫られた灯籠。
イメージ 20
イメージ 21
イメージ 22
イメージ 23
御神馬一対。
イメージ 24
狛犬一対(明治17年)。
イメージ 25
イメージ 26
イメージ 27
社殿。
イメージ 28
イメージ 29
拝殿内。
イメージ 30
イメージ 31
本殿。
イメージ 32
竜神宮(金竜宮)。
イメージ 33
竜神池と恵比寿様。
イメージ 34
イメージ 35
薬師宮。
イメージ 36
大鳥居建造寄附人名碑・境内整備記念碑(彌榮乃礎)。
イメージ 37
イメージ 38
忠魂碑など。
イメージ 39
イメージ 40
末社戸隠神社。
イメージ 41
イメージ 42
狛犬一対。
イメージ 43
イメージ 44
左から天照皇大神宮、牛頭天王之宮、猿田彦之宮、二十三夜・庚申塚。
イメージ 45
末社稲荷神社。
イメージ 46
イメージ 47
関連記事:『乳井茶臼館城跡
イメージ 48
イメージ 3
イメージ 2