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『藩政時代260年の間には、津軽の領民、とくに農民に対して大自然の猛威が襲いかかり、ほぼ4年おきに60数回の不作、凶作、飢饉があったといわれるが、その中でもとくにひどかった天明の冷害は、2年(1782)からはじまり、3年の場合は8月中旬まで殆んど快晴をみることなく、霜の降りるありさまで大凶作となり、翌4年も皆無作であったという。人々は食物を奪い合い、盗賊、殺人、放火が横行し、人間を食うなど飢餓地獄と化したのである。当時の藩の人口は約25万人といわれるが、その3分の1の8万人の餓死者が出たといわれる。碑文の「卯辰」とあるのは、天明3年が癸卯、4年が甲辰のためであり、相馬村にはこのような供養塔が6基ほどある。』
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文化3丙寅年2月建立。湯口村中。
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中央梵字の下には餓死精霊有縁無縁菩提塔とあり、左には両歳二十三廻忌建立とあります。
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地蔵様。
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その横に無造作に転がっていた地蔵様。
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