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真言宗智山派護国山観音院。津軽三十三観音霊場第1番札所、津軽真言五山(最勝院・百沢寺・国上寺・橋雲寺)の一つ。御本尊は円仁(慈覚大師)の作とされる聖観音。聖観音の他にも神仏仕分けの際に付近の廃堂が集められた十一面観音二体、青竜観音、虚空蔵菩薩、阿弥陀如来、薬師如来像、馬頭観音画像などがあります。また、王志羅講(大白羅講)や円山応挙作の幽霊画で有名です。
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前身は大鰐村の阿闍羅三千坊の一つである興福寺。建久2年(1191)円智法印により小沢村に移され、小沢山観音院救度寺と改称。明応年間(1492-1501)に日知が中興、道円・寛照が継承、慶長年間(1596-1615)寛海によって再興。元和年間(1615-1624)には2代藩主信枚が堂宇修復し祈願所としました。
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宝暦10年(1760)・寛政4年(1792)に火災、文久3年(1863)正月山中鳴動し本堂大破。江戸期までは大破した本堂ほか、観音堂・薬師堂・熊野宮・白山社・石地蔵堂がありましたが、明治の神仏分離によって熊野宮は阿弥陀堂、白山社は十一面堂に改称。明治30年頃より王志羅講(大白羅講)が始まりました。※由緒には諸説あり。
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寺号標。津軽巡拝第一番、建立者の名前などが彫られています。
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御大典記念碑(昭和3年11月)。
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奉祝皇太子殿下御降誕記念、満州事変第八師団凱旋記念碑(久渡寺31世弘海代・昭和9年旧3月18日)。
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狛犬一対。皇太子殿下御降誕記念、満州事変第八師団凱旋記念。
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台座。
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久渡寺御詠歌「普陀落や恵みも深き観世音罪もむくいもはらす宮だち」(平成14年8月30日)。
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庚申塔(大正3年陰3月9日)。
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池。トンボや蛙がいっぱい。
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ライオン岩付近にクマが出没しているみたい。
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石段を上ります。
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石段にはたまに蛇がいるので注意です。
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石段途中、右「南無不動明王」(不動明王)、左「南無大師遍照金剛」(弘法大師)。
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ここを左に進めば本堂前に着きます。
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もちろん上の聖観音堂からも行けます。
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石段に戻ります。不規則な石段。
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矢穴も見れます。
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最後の何段かはしっかりとした石段ですが急勾配。
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到着。
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上から見た石段。
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右手に地蔵様など。
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清水地区戦殉者供養塔(昭和61年8月15日建立)。
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鶯塚(明治29年旧4月20日)。
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愛鴬之碑(平成4年10月)。
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皇紀2600年記念事業碑(昭和15年2月11日)。
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手水石。
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ここから更に数段上ると聖観音堂。
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石段下両脇にある石灯篭。
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一つはハート型に見えますね。
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もう一つは…何型?(笑)
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石段上の石灯篭一対(昭和8年旧3月28日「武運長久祈願成就満州国吉林省延吉縣守信郷二道溝石岡豊吉)。
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聖観音堂。
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鈴緒がカラフル。
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向拝下にあった絵心経や御詠歌など。
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聖観音堂と奥院。
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土蔵造りの奥院。奥院内陣は「津軽観音巡礼・恐山」(平幡良雄)のP21にカラーで載せられています。両脇には昇降龍があり、煌びやかなものでした。
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津軽牡丹と卍。
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よく見ると般若心経が彫られています。
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白衣観音像。
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台座には「般若心経風誦観音尊造立」とありました。
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白山堂。観世音とだけ書いてあります。
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奉納馬(昭和39年旧5月7日)。
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池。いつもここで蛇に遭遇するのですが、今回はいませんでした。
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池の対岸にも石仏。
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鶴亀延命堂(稲荷堂)。未確認ですが、本堂を移築した時に掘り起こされた大石が納められているそうです。
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狐が一対。
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熊野堂。
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読めそうで読めない。
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堂宇の裏手には石仏(観音石像群)。
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展望台へ行く道。ちなみに奥院から5分程山道を行くと、津軽藩主が代々稲作を検見したという国見坂に着きますが、ここは慶長15年5月7日、津軽為信が親友の盛岡金吾信元を暗殺した場所と伝えます。為信は信元とともに国見坂から津軽野を見て、津軽制覇を決意。しかしながら後に領地を分つのを惜しみ暗殺したといいます。久渡寺にある円山応挙作の幽霊画は、信元から5世後の盛岡主膳元徳が奉納したもので、モデルはその娘と言われているのです。
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本坊。
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オシラサマを拝見したい方は本坊内へ。
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さて、こどもの森売店で、お決まりの中華そば&こんにゃくを食べて帰ります。
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