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国道7号線(羽州街道)の鶴ヶ鼻トンネルの下から向かう感じです。余談ですがイザベラ・バードが「断崖の下を通ったが、それは200フィート(約60メートル)にわたって六角柱のりっぱな円柱形玄武岩からできていた。すると突然に、大きな平野に出た。」と記しています。現在、この柱状節理はトンネルの真下に僅かにその名残を見せているのみですが、当時は屏風のような柱状節理が壮大な全容を見せていたといいます。
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入口では西国三十三所観音が出迎えてくれました。造りが細かく、立体感もあって素晴らしい三十三観音です。
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西国第一番如意輪観音像と第三十三番観音像など。西国霊場土踏所とあります。ありがたや。
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こちらの石碑は「…頭尊…26年…5月5日」。上部破損した馬頭観世音です。元善福寺の井戸のそばに昔から建てられていたもの。
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増田手古奈「月待つや 虫鳴く方へ 歩みつゝ」、増田勢子「郭公の はるかに聞ゆ 野点かな」。
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盛運「菩提樹 実莢ひらきて こぼれ落つ」、もと「久々に 窓あけ居れば 初音の風」平成7年春。
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本堂。善福寺は「北山のお寺」と呼ばれています。静岡県可睡斎の末寺。明治22年初代定学開創。大正5年(1916)、現寺院下方の北山8番地へ平定学二世が創建。釈迦堂として建立した年に静岡県高脇村の石水山善福寺名を譲られ、曹洞宗石山水善福寺に改称。静岡の善福寺は万寿元年(1014)に石水山一休寺として建立するも明治元年に石山水善福寺に改称。大正には住職がいない荒れ寺となり、廃寺寸前に大鰐の北山釈迦堂へ山号寺号が譲られたそう。この譲り受けには平定学二世の恩師である静岡県の僧玄齢の働きが大きかったことから、玄齢を善福寺一世とし、創建した定学は自分を二世にしました。
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また、開基を平姓の祖先桓武天皇第五皇子高棟親王とし、位牌を開山堂に祀っています。また、平盛運四世は寺前に開基高棟親王の墓碑を建て、開山堂には金の位牌にして祀っています。ちなみに定学は玄齢のすすめで勝岳院に入った後、小泊などの寺院に住してから、明治22年に大鰐に来て釈迦堂建立を発願。昭和2年に北山一番地に移転新築。元の建物は平成10年に解体。昭和47年12月に現在地に移転。
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景色がいい場所にあります。
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正面に大鰐温泉スキー場。
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梵鐘。
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「風調 雨順 國泰 民安 梵鐘一打の浄音は人の心に菩提心のやすらぎ限りなくすべての福運開くなり 善福寺盛運誌」と刻まれており、招福開運の梵鐘と言われています。
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開基平氏祖先と歴代和尚の墓。
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不老橋。
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六地蔵。
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地蔵堂。
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こちらにも地蔵様。
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祥雲亭。
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龍天護法大善神堂。
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無縁塔。
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大鰐町斎場鶯郷苑。
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