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大門(旧総門。昭和12年建築)。大門も御成門もそのまま駅名になっているのでアクセスしやすいですね。
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さて、大門ですが、色々と諸事情がありまして、増上寺に返還されたのは2016年3月25日。
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大門横にある案内板。
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『初代広重が描いた東都名所の芝神明と増上寺。寛弘2年(1005)に勧請となり神明に対し増上寺は麹町に明徳4年(1393)に開創し、家康江戸入りののち慶長3年(1598)に移転してきた。ここには6人の将軍ほかの人たちが葬られている。この碑は画面中央の橋の欄干の右手にあたる位置に建てられている。』
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『風景浮世絵の名手初代安藤廣重がその最晩年の安政5年(1858)に描いた芝神明と増上寺で、江戸の百景を選び、更に追加したものであろう。増上寺は徳川将軍家の菩提寺であって江戸時代の初めからの名所であり、その僧たちや、今と変らぬ参詣見物の大勢の人たちの姿が描かれている。』
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『芝神明は、平安時代に造られたという江戸有数の古社で、芝居のめ組のけんかなどでも有名である。これは、江戸時代のしょうが市の光景で今日でも9月11日から21日まで長く続くため、だらだら祭りの名がある。背景は二代廣重、人物は三代豊國の筆、元治元年(1864)江戸自慢三十六興の一枚。』
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め組のけんか(錦絵:神明相撲闘争之図・明治19年)…『文化2年(1805)2月(一説)、芝神明の境内で、勧進相撲を興業していた力士と町火消め組との間でけんかが起こった。これが、のちに江戸っ子気質の典型として評判になった芝居「神明恵和合取組」(かみのめぐみわごうのとりくみ)のモデルとなった。』
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三解脱門から見た大門。
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こちらは御成門。
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御成門…『増上寺(徳川家菩提寺)の裏門としてつくられたが、将軍が参詣する際にもっぱら用いられたので、「御成門」と呼ばれるようになった。初め「御成門」は、現在の御成門交差点にあったが、明治25年の東京市区改正計画で、内幸町から増上寺三門を経て芝公園に至る道路が新設された際に、この位置に移築された。その後、増上寺三門や旧庫裡門・徳川家墓地の惣門・二天門とともに、関東大震災や太平洋戦争の戦火から難をのがれて今日に及んでいる。昭和48年3月東京都港区教育委員会』
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