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黒石散歩。
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観光マップも見ずにブラブラ。
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廻古書林・十川酒店。十川酒店は地元では「とがさかや」と呼ばれ、昔は大きな酒造店だったそうです。
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長崎かすてい羅(御菓子高谷)。
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御菓子司横浜屋。昭和39年創業。だんごで有名。
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中村旅館。
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明治9年に遊郭「かねまる」として創業。昭和33年頃に旅館になりました。
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中町こみせ通り。
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江戸時代前期から続くアーケード状の通路。
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マップ。
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中町の「こみせ」…『黒石市中町地区の「こみせ」は、藩政時代に考案された木造のアーケード。歩行者は、冬の吹雪や夏の日照りなどを避けながら、買い物もできる。四季を通して開放されているが、柱の痕跡によると、「蔀(しとみ)戸」が入っていたとみられる。黒石は、明暦2年(1656年)に、黒石藩祖信英公が、津軽藩から分知されて以来330年余にわたり城下町として栄えてきた。とくに、青森方面へ通ずる街道の要衝であった中町は、造り酒屋や呉服屋などが軒を並べ、前町・横町とともに、商店街の中核を成していた。「こみせ」を主体とした「伝統的建造物群」は、全国でも唯一で、この中の「高橋家」は、「国指定重要文化財」である。昭和61年9月』。
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黒石市中町伝統的建造物群保存地区…『明暦2年(1656)、黒石初代領主津軽信英が弘前藩から五千石を分知されて、黒石津軽家が誕生して以来、中町は浜街道沿いの商人町として栄え、交通の要所でもありました。主屋の前面にひさしを張り出し、日常の往来に供される「こみせ」と呼ばれる通路が連なり、藩政時代のたたずまいを残しています。』
中町こみせ通り…『「こみせ」は、道路側に一間おきに並ぶ木の柱の上に、ひさし状の屋根が載った格好の通路空間です。雨や夏の強い日差し、そして冬の吹雪から人々を優しく守ってくれる「こみせ」は、津軽信英が新しい町割りを行った時に商人町に作らせたのが始まりと言われ、軒を連ねた商人町になくてはならないものとして、連綿と守られてきました。代々受け継がれてきた美しい形と、通る人々にとって常に快適な空間。このふたつが見事に融合することによって、こみせ通りはその価値を遺憾なく発揮しており、そこに住む人ばかりでなく市民の共有財産として保存されてきました。』
中町の見どころ…『中町には、18世紀中頃に建てられた高橋家住宅(国指定重要文化財)や19世紀初めに建てられた鳴海家住宅(黒石市指定文化財)など、単体としても価値のある建物が多く存在しています。中町は、「こみせ」が連続する町並みとしてだけではなく、それを構成する伝統的な町家形式の商家や庭園など、多くの見どころがあります。』
重要伝統的建造物群保存地区…『先人がその思いと努力のもとに、創り、守り育ててきた伝統的な「こみせ」のある町並みは全国的にも貴重なものであるとその価値を認められ、平成17年7月22日重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。』
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こみせ駅。
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裏に回ってみました。じょんがら広場です。
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水路に鯉がいます。
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小見泉。南八甲田山系からの伏流水が湧き出る井戸。
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更に奥へ。
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多目的ホールの音蔵「こみせん」前を通り抜けると…
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蕎麦や金の銀杏。
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銀杏(樹齢300年・メス)。
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高橋家住宅。国指定重要文化財(昭和48年2月23日)。
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高橋家住宅…『○建築年代…宝暦13年(1763)ころ。○構造・様式…木造・一部二階。間口10.9m・奥行き20m・切り妻造り・妻入りで、亜鉛引き鉄板ぶき。東面に「こみせ」付き。○特徴…津軽地方の典型的な商家構造で、吊り上げ式大戸・通り土間・吹き抜け天井・出格子窓などを具備。○高橋家由緒…享保2年(1717)、この地に住みつき、代代「理右衛門」を襲名。黒石藩御用たしの米商。屋号は「米屋」。昭和61年12月』
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喫茶スペースになっています。
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美しい庭を見ながら喫茶タイム。
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「黒石ゆかりの作曲家」私設資料館。
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御幸(創業昭和46年)と寺山餅店(江戸時代から続く老舗)。
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中村亀吉酒造店(中村家住宅・大正2年)。
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酒林は直径1.1間、重さ400貫目は日本一と言われています。
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酒林(さかばやし)…『酒林は元禄3年(1690年)に刊行された人倫訓蒙図彙(じんりんきんもうずい)によると、杉の葉を束ねて酒屋の店先に吊るして看板にし、その年の新酒が出来たことを知らせる印とした。球状になったのは、寛政9年(1797年)頃だと云う。古典には、酒神を祭る奈良県桜井市の大神神社のある三輪山の御神木の杉で造ったとある。酒蔵では、酒神の依代として御加護を願うための御守にした。当店の酒林は、直径1.1間(2.1m)、重さ400貫目(1500kg)で日本一と自負している。酒林の制作は、杜氏対馬義昭であり、切妻造りの屋根は、棟梁村上英治の傑作である。平成5年2月吉日(癸酉)』
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茶房佐志仁。
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西谷家住宅。
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大正2年に弘前にある造り酒屋の建物を譲り受けて現在地に移転建築。昭和40年頃までは呉服店。
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白戸家住宅。
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又上上原呉服店。
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鳴海自転車店&山口ユビワ店。
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松葉堂まつむら。創業は明治末期。重厚な総檜造りの「干梅」の看板は、大正天皇が大正4(1915)年10月23日大演習統監のため黒石町を訪問された折、宮内省御買上の御光栄を賜ったことを記念したもの。
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岩谷歯科医院。
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旧松の湯。
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黒松の老木(樹齢約350年・幹回り2m51cm・高さ12m)。
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松の湯の由来…『「松の湯」の名前は「松の木のある湯」からと思われる。「旧松の湯」は明治44年(1911年)に銭湯が営業していた記録があるので、建物はそれ以前に建築されていたと考えられる。「松の木」は、古くから黒石市中町の人々だけではなく、「中町こみせ通り」のシンボルとして、県内外の観光客からも親しまれている。』
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男湯女湯。
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松の湯の建物内。
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盛家住宅。幕末頃に建てられ、明治30年頃より盛素七が中古住宅として買い取って移り住んだそう。
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鳴海家住宅。
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屋号「稲村屋」、愛称「菊乃井」として知られている老舗の醸造店。
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『鳴海家住宅は、文化3年(1806)に創業された造り酒屋で、屋号は創業以来「稲村屋」を名乗るが、一般に「菊乃井」の名前で知られている。建物の規模は、間口十八間弱、奥行四十三間半である。主家の他に作業場と蔵からなるが、通り土間で繋がっている。さらに、敷地の東には、数棟の蔵が並んでいる。また、中町側には、「こみせ」が付くが、長さは二十三間半に及ぶ。主家と繋がっている蔵は、大正二年(1913)に築造されているが、主家は創業以前に建てられた建物である。通り土間の片側に配された部屋や吊り上げ式大戸などの特徴から200年以上が経過していると推測される。また、敷地内には大石武学流の庭園がある。鳴海家住宅は、大きな改築、改修もされず伝統的な店構えを守っており、町並みの景観にも非常に重要な役割を果たしている。』
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すずのや&ストぜん(須藤善商店)。
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マルチ薬局(前町・昭和4年)。
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大正4年創業当時。
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前町マルチ松井薬局(昭和7年)。
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金清堂時計店。
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喫茶蔵。
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レディス・みかみクリニック。
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上吉上原呉服店(昭和6年建築)。寛政の頃に酒造業「上星吉」印柳屋を開業。4代目が大正2年に造業から上原古着店を開業創業。
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