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寺町は江戸期は黒石城下の1町。黒石陣屋の東北に位置し、明暦2年の検地帳の名請人に寺町の町人が記され、陣屋の成立当初から町立てされていたと思われます。町内には寺院が多く並んでおり、享保3年寺社領分限帳によりますと、浄土宗名越派紫雲山来迎寺、浄土真宗大谷派齢松山感随寺・浄土真宗東派浄信寺、日蓮宗法輪山妙経寺があります。
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このうち来迎寺は町の北側にあり、慶長3年(1580)良蓋の創立とされ(※正保元年(1644)とも)、元禄9年(1696)の蓮門精舎旧詞にも見えます。
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浄仙寺(享保3年来迎寺7世浄仙和尚が前町神明宮付近に隠居所として創立した浄仙庵)の中興の祖である山崎是空を輩出していることでも有名。
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江戸時代後期には花山院忠長縁の松があったことから菅江真澄も訪れています。
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津軽の奥(菅江真澄)より一部抜粋…『紫雲山来迎寺の庭に、花山院忠長卿の植えられたという松がある。きのうきょうの大雪に、なおみごとなことだろうと、でかけてゆき、しめ縄をひいて閉ざしてある門のわき口からはいると、枝葉が四方八方にひろがって、雪のなかに伏し埋もれていた。しかしながら、この松は法会を行なうたびに邪魔になってわずらわしいというので、近年のこと、その枝をおとせ、あの枝をきれと、この寺のある上人が枝をおろさせたので、姿もむかしとは変わってしまった。由緒のある立派な松を大事に扱わないひどい僧だと、おかみの御機嫌をそこね、自らも方丈の室にこもって、一年ほど謹慎したという。その松の枝を刈り下ろしたころ、人々は、「もったいない由緒のある松を、いかに自分が法師だからといって、わが弟子のように松までも坊主にしてしまった。あの松きり坊主め」といって、子供までもみな憎み、いまも松を見るたびにそれを言い出して避難しあっているという。しかし、以前に見たときとは姿が変わっているようであるが、いまでも、これにくらべものになる木があろうとも思われず、みごとな枝ぶりである。この松の雪のかかっている風情はことにおもしろく、むかしがしのばれた』
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戊辰戦争の際は新政府軍の清水谷公考が函館を放棄し黒石で陣を構え、来迎寺には家臣の一部が宿泊所としました。山門は宝形屋根、鉄板葺き、一間一戸、楼門形式、出入り口上部は花頭風の意匠、袖壁付。
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御本尊阿弥陀如来。津軽八十八ヶ所霊場第二十八番札所。
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境内に鳴海要吉歌碑「なに思ふ こどもも遊ぶそべとて 春のよい夜の橋がかわくに」があります。
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御詠歌…「黒石の くろくはあらで この光 白き道にぞ 頼むこの寺」
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