鳥居と門を潜ります。
御祭神は天照皇大神。
慶安年間(1648-1651)創立。下記奉献之碑では寛永2年(1625)、寛延元年(1748)再興。
大木家の総本家の祖先が内神として崇拝しており、後に部落の鎮守となり今日に至るそうです。
手水舎。
扇形です。
社殿。
本殿。
社務所。
摂社の八雲神社・山祇神社。
摂社の住吉神社・塩竈神社。
奉献之碑…『神明社は、寛永2年(西暦1625年)天照皇太神宮の分霊の奉祀になり、寛延元年(西暦1748年)伊勢参宮無尽講をもって再興建立せられ、尓来、鎮守の神として部落民信仰の中心となり、年々例祭を行ない、文政5年3月増改築、更に昭和8年11月大規模な改築を行なって今日に至る。この間16人をもって講中結び、田畑を購入して社有となり、毎月16日講中の人々相集まり社務の協議、境内の清掃等に奉仕するを例としたるも、創祀以来、大木氏本家の労は誠に、多大であった。春秋の祭礼に際しては、その祭資は、社有田畑の作料をもって行うも講中全員が奉幣をはじめ、祭務をそれぞれ分担協力して奉献にあたった。また神社の改築、施設の整備充実には、多大な労資の提供をもって奉仕に尽力しあたった。昭和20年大東亜戦争終結し、つづく農地改革の執行により、社有の田畑も、解放となり、社務の執行も総代制により実施せられることとなった。ここに神明社講中諸先輩の遺業を記し、社務奉献の由来を後世に伝う。昭和41年7月16日吉日』
故陸軍歩兵上等兵大木弥左衛門君之碑。
湯殿山、古峰神社、庚申塔、幸神、雷神などの石塔群。
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