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かつての猿屋町に鎮座。小さめの神社ですが歴史は深いです。
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社号標(昭和43年4月吉日明治百年記念)の裏に由緒が書いてありましたが、光が反射して読みづらかったので諦めました…『稲荷神社。御祭神。蒼稲魂命。昔古加賀美・条太夫と言ふ二猿曳■時の将軍の病を祈祷し其の(略)しを以て土地及び猿屋町の名を賜■二太夫各邸内に勧請せる稲荷社をその後(略)小島屋(略)酉之助の持地となり合祀奉齋せり享保十七年の大火に猿屋町一圓類焼せら■代替地を(略)堀田原に被下たり。然れども稲荷■毅然として殘り現愛に至る。今(略)鎮護火防の神(略)として崇敬護持せらる。例祭日を■月二日と定め、毎月二日には月次祭(略)鳥越神社(略)宮司兼務奉仕す。境内地總面積參■坪壱合四勺。浅草橋三丁目十六番八号鎮座』
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要約すれば「その昔、加賀の加賀美・粂太夫という2人の猿曳が将軍の病に対して病気平癒の祈祷したところ、将軍の病が良くなったため、猿屋町の名を賜って住み、その邸内に稲荷神社を勧請。その後小島屋酉之助の持地となり、猿屋町が大火に遭った際も稲荷神社だけは毅然として残り、現在に至るまで火防の神として崇敬された」って感じ。現在は鳥越神社の境外末社。
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ちなみに猿屋町の町名由来には2説あり、1つは越後猿屋村から出てきた猿屋加賀美太夫が住んでいたからという説と、猿引きが多く住んでいたからという説があります。
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いずれにせよ稲荷神社は猿屋加賀美太夫という人に由来することには間違いなさそうです。そして加賀美稲荷(猿屋加賀美太夫の小祠)と粂森稲荷(名主小島屋酉之助の小祠)が一つになり、現在は加賀美久米森稲荷神社という長い神社名になっています。また由緒から推測すると創建は町屋となった寛文7年(1667)頃と考えられます。
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こちらの石塔には『…■(山+有)天保五歳甲午春二月 初午日創建…』と刻まれていました。天保5年(1834)に再建されたってことかな。崩れているため不明です。
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上記石塔の前にある石碑には「奉納猿屋町」とあり、下部には名前等が彫られています。
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台東区神社マップ。
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