寺町は江戸期は黒石城下の1町。黒石陣屋の東北に位置し、明暦2年の検地帳の名請人に寺町の町人が記され、陣屋の成立当初から町立てされていたと思われます。
町内には寺院が多く並んでおり、享保3年寺社領分限帳によりますと、浄土宗名越派紫雲山来迎寺、浄土真宗大谷派齢松山感随寺・浄土真宗東派浄信寺、日蓮宗法輪山妙経寺があります。
このうち妙経寺は、国誌によりますと天正19年弘前本行寺13世日境の開基。なお、明治元年に榎本武揚軍に北海道を追われた箱館府知事清水谷公考一行約130人は、青森から浪岡を経て黒石に退却し、感随時に本陣を置いています。
本尊は一塔両尊四士。寺伝によりますと弘治2年に相模国妙法華寺12世日弘の弟子である江東院日然が開山となり、浅瀬石城主千徳氏の祈願所として浅瀬石中屋敷に大王山法輪寺を創立。
慶長2年、4世日桓の時に津軽為信に攻められて浅瀬石城が落城した際に焼失。同年五輪台(牡丹平)に再建。
承応元年に弘前本行寺6世日住は3代藩主津軽信義に願い出、現在地を拝領し弟子の日饒を派遣して本圀山妙寺を建立。当時無住となっていた法輪寺を合併して現山寺号の寺としました。
正徳2年、延享元年の2度にわたり焼失。明和3年には大地震にて倒壊。現在の本堂は昭和2年の建立。
本堂。
向拝下。
懸魚、虹梁、蟇股、木鼻など。
隣の感随寺から見た妙経寺。
境内には野元道玄作の庭園(揚光園(27世の揚光院に因む)・池には世界最古の古代蓮(大賀蓮)あり。カヤの木は樹齢約700年、樹高19.5m、幹周6.55mで、妙経寺創建以前から生育していたものと考えられ(この地方では古くから天台密教が栄えており、各地を巡回した修験者が苗木を植えたと考えられています。)、昭和63年に県天然記念物指定。)、寺宝として日蓮筆と伝える7号妙号の断片があります。
日蓮上人700年遠忌事業(昭和56年)にて蓬迎塔(※塔=木+棠)(三重鉄塔)、六角堂(浮き見堂風番神堂)、拂塵道場、饒心洞(水行堂)、妙夕庵(茶室)、位牌堂改築。
火中出現、日蓮大聖人像。
大きい!
こちらの馬も乗れるレベルの大きさ(乗ったらダメ)。
蓬迎塔(※塔=木+棠)には寺宝等が格納されているそう。
六角堂。
鐘楼。
梵鐘。
その他石碑など。
立派なお寺さんでした。
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