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かつての金矢村。金矢(金谷)神社は、宝相院阿闍梨良順法印が当村第一の開拓者高橋庄兵衛の請により、熊野大権現を勧請したもの。
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御祭神は稲蒼魂命、瀬織津姫命。
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文化年間の社殿改修に際して宇南大権現も併祀し、村民の信仰が非常に篤かったと伝えます。
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明治の神仏分離によって金矢神社は廃され、明治3年同社別当と村民は早池峰山から霊石を奉遷して早池峰神社を勧請したと伝えます。
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狛犬一対。
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拝殿向拝下。
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本殿。
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神楽殿。
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社務所。
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民俗資料館。
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民俗資料館内中央に早池峯神社の神額が見えます。
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境内由緒…『金谷神社の御神霊は宇南大権現(竜神)である。その昔金矢氏は金矢舘に居城せし折現在の地に祈願所を設け権現を安置して数代の間邑の安泰を兼ね家運の隆昌と武運長久の守護神として祀ったものである。然る処建治2年丙子(1936)9月金矢周防守秀政の時代に至って岩﨑城主和賀孫三郎忠義と戦う処となり遂に敗れて遁走しその為め祭主を喪う事となったのである。其処て邑氏は自然に此処を邑の産神として崇拝するようになり祭事を行い来たったのであるが明治維新に至って維新政府が祭政一致の建前から明治9年戌辰3月12日神仏混合を禁ずる布令を達し神仏分離或は廃仏毀釈を行わしめた。其処で権現と云うものの本地は何れも仏なりとの理由によって毀釈を行う止むなき事情に至ったので産子有志の計により明治3年6月新に稲蒼魂尊並に瀬織津姫命を勧請合祀し早池峯神社と改称し大正10年10月8日村社に列格今日に至った。その後昭和27年神社名を金谷神社と改めたのである。従って社宮を享保7年壬寅(2382)9月以前の造営にかかるもので腐朽甚しく大正の初期において修覆を為し今日に至ったが今日花巻並台温泉線の幅員拡張工事の施行によって境内地の一部が削減されこれに伴って諸施設が移転を余儀なくされた為めこの期を卜し幣殿及び拝殿の改築を行ったのである。』
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古峯神社、鳥海山、金毘羅、山神、庚申塔、百万遍など、様々な石塔が並んでいます。
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さりげなく村社早池峯神社の社号標もありました。
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