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現在は曹洞宗馬頭山観音寺と称しているようです。
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毎月19日御縁日。
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馬頭観世音の由来…『慶長3年(1598)1月、上杉景勝越後春日城より会津若松城へ国替、会津四郡、仙道(中通り)七郡、出羽国三郡、佐渡国三郡120万石を領知、信夫伊達地方は、上杉の支配下に組入れられ、同年2月、水原常陸介親憲福島城代となる。慶長5年春、親憲猪苗代城代へ移封され、森山城代本庄越前守繁長が福島城代となりこの地を治む。時に豊臣秀吉の死(慶長3年8月)後、天下は風雲ただならず、伊達政宗の再度の侵冦(松川合戦、慶長5年10月)に備え、繁長兵馬教練のため、当堂の周辺南北115間(約230m)に馬場を設け、その北隅に堂一宇を建立、馬頭観世音菩薩を安置して領民の安泰並に馬匹の護り、五穀豊穣を祈願したと伝えられる。当観世音は、信達坂東三十三観世音第二番札所としても広く知られ、境内には老松おい茂り、馬市が開かれたり御祭札には素人角力、盆踊りなど奉納されて、広い境内は参詣人で賑い数多くの信仰者を集めた。なお、現存のお堂は、元禄年間(年月日不詳)火災により焼失後再建されたものと伝えられ、さらに昭和37年新4号国道建設により約100m南の現在地に移転したものである。平成26年12月 曹洞宗 馬頭山 観音寺』
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当時利用されていた御影石製の「牛馬給水用」と刻まれた馬の水呑み場。
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馬頭観世音の堂宇。
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向拝。
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馬頭観世音菩薩。
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太子堂。
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向拝。
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聖徳太子を祀っています。
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太子堂は元からここにあって、太子堂の場所に馬頭観世音が移されたってことなのかな。
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常夜燈。
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こちらの建物は不明。ここで管理しているのかな。留守のようでした。
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秋葉山、馬頭観音、道祖神、庚申塔、南無阿彌陀佛、大乗妙典供養塔ほか石塔がたくさんあります。
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古いものでも結構状態が良かったです。
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