
一之鳥居と手水舎。


ここから本殿までは想像した以上に距離を感じると思います。

途中にあった石碑。かなり丁寧に祀られていますね。

文政6年(1822)幸神。


鳥居奉納記念碑。

距離はありますが参道は綺麗にされており、歩きやすいです。


鳥居も多かったです。

同じ鳥居なので何番目の鳥居かわからなくなります。

わかりにくいかも知れませんが、下の写真の鳥居の右側に、草むらですが本殿横まで繋がる道がありました。


もう一息。


到着。

青森県神社庁HPによりますと、御祭神は軻遇突智命。火産霊神ともいう火の神で、火を守護せられる神を祀っています。神社庁の写真には石燈籠が写っていますが、無くなっていました。

創立年月日不詳。

赤石川河口の旧赤石村に鎮座しており、農漁業の氏子による信仰が篤いそうです。

例祭には津軽神楽が奉納されており、湯立神事も行われます。




貞享4年検地水帳によりますと、地蔵堂地、熊野堂地がみえます。安政2年神社書上帳によりますと、延宝3年(1675)再建の貴野宮と永禄5年(1592)創建の熊野宮がみえます。



つまり木野宮以前は地蔵堂だったようです。国誌によりますと、明治初年には水波能売命を祀る赤石村貴船宮がみえ、熊野宮などを合祀しています。水波能売命ってことで、現在とは御祭神が違いますね。


祠掌奈良冨之進、祖主水貞親と伝えます。代々種里八幡宮の祠官なりしが明治6年免職となり、同4月27日当社の准祠掌となります。新撰陸奥国誌には「貞親より今の冨之進まで十七代なりと云ふ」とあります。

本殿の本懸魚に狐がいました。


社殿内。




社殿内の神額には三社宮とあり、左右にも2つの祠があります。

これは憶測ですが、左右の絵馬から察するに稲荷宮と龍神宮かも知れませんね。もしくは合祀された熊野宮かな。




社殿横の手水舎。

竜口からは山の水が豊富に流れ出ていました。

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