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津軽横内三十三ヶ所霊場のようです。
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一之鳥居や「津軽横内三十三ヶ所霊場」の石碑は、百万遍などと共に旧道の方に残っています。道路を挟んで向かい側の階段を下りて行けば着きます(青森南老人保健施設甲田苑横)。一之鳥居の横にスペースはあるのですが、どうも甲田苑さんの敷地っぽかったので、車でグルリと回って二之鳥居から行った方がいいかもです。階段上らなくて済むし(笑)二之鳥居の横にはちゃんとした駐車スペースがあります。
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横内村には弘前藩主代々の祈願所で、外ヶ浜一帯の住民にも崇敬された妙見宮や、弘前最勝院末寺の真言宗智山派朝日山常福院などもあり、非常に歴史深い地区です。横内城主堤孫六の館神であり、寛文3年(1663)村中で産土神として祀り直したという稲荷宮(建武年間創建)があり、末社として薬師堂と惣染宮(馬頭観音堂)がありました。同社は明治の神仏分離によって大星神社に合祀され、薬師堂は久須志神社となり、惣染堂は廃堂となりますが、この惣染堂との関連性は無いようです。当横内村馬頭観音は次のような言い伝えがあります。亀井権六という武士がいて、土地の開墾に力を注いだり、百姓に農法を教えていました。ある日、雲谷の方から赤パゲの坂を下って来たところ、どうしたことか愛馬が倒れて息絶えてしまいました。亀井権六は愛馬の冥福を祈るために一本の松を植え、馬頭観音と五輪の塔を建てたのが始まり。これが後に現在地に移り保食神社となったそう。ここを通る時には馬から下りて通らないと怪我をするとの伝説も残しています。ちなみに、津軽横内三十三ヶ所霊場になったのは昭和16年6月17日で、保食大神の石塔は明治31年旧5月5日村中で奉納。
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あっという間に一周できました。
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聖観世音。台座は新しいものでした。
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裏には発起人(小山内由吉・小山内イソ)の名前と共に『皇紀2600年紀年』とありました。
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聖観世音の裏には馬頭観音の石碑も3基ありました。馬頭観音願主鹿内重兵衛(明治8年9月17日)。如是畜生発菩提心(施主横内村字横内桜庭専蔵・明治34年8月24日)。
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保食神社。
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向拝下。
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社殿内。
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手水鉢。
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保食神社社殿横の池。
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池の横には龍王尊。
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御神体は龍の形をした木です。
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隣のより小さな祠は空っぽでした。
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教祖原子ヨシ先生起因碑。『宗教法人もとのみち教 修行参拾年之場』と彫られています。
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裏には『宗教法人もとのみち教有志一同 昭和43年7月吉日建立』とありました。
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台座には『教訓 日光愈々世に出て 東の空に開かれる 玉の清水にわく人は 慈愛の雨も降りそゝぐ のべど嵐に身を捧げ 一丈一心を身にまとへ にしきの旗を 先にひるがへし 進んで行くぞ 真理の道 昭和36年9月吉日』とあります。
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