
御祭神は軻遇突智命。

慶長3年(1598)勧請、もしくは文録3年(1594)とも伝えます。

かつての金沢村。地名の由来は津軽氏の祖大浦光信が延徳3年(1491)に種里に入部し、この頃義父金沢右京亮家信に当地域を統治させたことによる説のほか、金沢という豪族が住んでいたことに由来する説もあります。


はじめは目内崎村の枝村で、享保11年(1726)に分村して独立。安政2年神社書上帳によりますと、慶長3年(1598)創建の貴野宮と、同じく慶長3年創建の御岳(御嶽)観音堂があります。


神仏分離の際に貴野宮が軻遇突智神社となり、観音堂が高倉神社となりました。明治6年に種里村八幡宮に合祀されるも後に復社。



石灯籠一対。


狛犬一対。


末社。

石の他、不動明王立像が中央に祀られていました。

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