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原別村。神社の周囲は田んぼ。
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田んぼの中に鎮守の杜がございます。
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南東部の下海原に八幡宮があります。
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建武年間(1334-1336)に安倍大納言盛李(安東盛李)が勧請し、元亀年間(1570-1573)から東輪山永禄寺多聞坊が社務を勤めています。
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また、慶長2年(1597)に再建し、末社に牛頭天王・広田宮があったといいます。
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以下は境内にあった案内板より。ここまで詳細な案内が掲げられているのも珍しいですね。とてもありがたいです。
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創建並びに祭神…『八幡神社は安東初代当主である阿倍盛李氏の創建である。祭神誉田別命と大山祇命を祀る。誉田別命は第15代応神天皇(在位西暦270年2月8日-310年3月31日)であり諱(本名)を誉田別尊という。武運の神「弓矢八幡」として崇敬されている。また、大山祇命は古事記(712年)や日本書紀(720年)に登場する「山と海」の両方を司る神である。また酒造の神、軍神、武神としても信仰されている。』
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天台修験阿闍梨法印多門坊…『東輪山永禄寺蓮珠院の開祖である多門坊は相模の国鎌倉の天台修験阿闍梨法印を勤めた高僧であり、本八幡神社の別当職を勤めた。彼は永禄11年(1568年)より諸国を巡回しながら法の教授に励行していたが、松島(現仙台市)の在留中に、南部名久井山法光寺の使いの僧と出会い、正式な別当がいない蓮珠院や当八幡宮、稲荷宮の件について話すところとなった。さっそく翌、永禄12年(1569年)の春に法光寺の僧侶が24代南部晴政に謁見の際、「遠地原別は郡司館主の土地であり、土地を守る僧がいない」との旨を伝え、その後当地に下向した。代々別当を勤めてきた小笠原館主と南部八戸からの役人、そして僧との間で「八幡宮と稲荷宮は建武年間より代々、小笠原館主が別当を勤めてきたが、あまりにも恐れ多く、両宮の別当職を多門坊にお願いできないか」と思案し、多門坊に依頼することになった。元亀元年(1570年)天台宗比叡山に登り(誰かは不明)、奥州原別の鎮守である当八幡宮及び稲荷神社の件について申し述べたところ、両宮の別当として東輪山永禄寺多門坊を嘱すとの御印紙をいただくに至った。以来、多門坊はこの御印紙に従い鎌倉寺内より東輪山永禄寺蓮珠院に転院し、当八幡神社の社務を勤めるとともに天台密法を丹精込めて説法することになった。多門坊は戦国の世に地域の住民はもちろん、当時まだ蝦夷と呼ばれていた浮浪人に対し昼夜怠ることなく仏法を教化した。その指導の効が上がり、蝦夷の館に住む残党も一般住民と和し、谷地や空野の開拓が進み、民家の数も徐々に増えていった。また、神に供える穀物を耕作する無年貢の御供田を当八幡宮と稲荷宮に整備し、30人を扶養したと伝わっている。以上「鹿内文書」参考』
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江戸から現代…『江戸時代から氏子衆や地域住民の力で度々再建され、「八幡様」の名で親しまれてきた。文政元年(1818年)に「八幡宮」の掲額がなされたが、昭和60年(1985年)の鳥居建立の際は「八幡神社」と掲額され、以来この社名で呼称されている。平成21年、22年の大規模な再建・補修と境内拡張により、氏子衆はもとより地域住民にもあつく信仰されている。御祭神:誉田別命、大山祇命。御神木:ケヤキ(推定樹齢300年)。例祭日:8月15日。神楽舞:不定期開催。』
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以下沿革。
建武年間(1334-1337年):阿倍大納言盛李氏(檜山系安藤氏、後の安東初代当主)創建。誉田別命、大山祇命を祀る
天授6年(1380年):安東盛李氏再建
元亀元年(1570年):東輪山永禄寺(蓮住院先祖)多門坊社務を勤め再建
万治年間(1658-1660年):「再建棟札有」の記録有り
貞享4年(1687年):「社地六間・五間一畝歩蓮住院抱、境内林五十間、十八間三反歩」の記録有り
宝暦11年(1761年):「再建棟札有」の記録有り
寛政9年(1797年):「再建棟札有」の記録有り
文政元年(1818年)6月:「八幡宮」を掲額(小笠原佐左衛門氏)額裏面に「応需藤原貞之謹書-藤原依所望 藤正長作 ※願主 小笠原佐左衛門」の記録有り
文政4年(1821年):「再建棟札有」の記録有り
大正5年(1916年)8月15日:御旗奉納(矢田前氏子衆)
大正10年(1921年)8月15日:狛犬一対奉納(泉野小笠原平助氏)
昭和6年(1931年)5月15日:国旗奉納(矢田前、平新田氏子衆)
昭和9年(1934年)4月15日:神馬奉納(矢田前、平新田氏子衆)、神馬石碑奉納(小笠原平助氏他泉野7名) 同年拝殿再建(棟梁後范出身 小笠原惣吉氏)
昭和24年(1949年):本殿(奥院)建立(棟梁不詳)
昭和36年(1961年):御神体盗難に遭う 新たに御神体を祀る
昭和48年(1973年):参道入り口に大鳥居建立
昭和52年(1977年):御旗奉納(矢田前氏子衆)此より現在の御旗掲揚位置となる
昭和57年(1982年)12月:大しめ縄奉納(矢田前鹿内与一氏指導)
昭和60年(1985年)5月:「八幡神社」を掲額 拝殿前に鳥居建立
平成8年(1996年):石灯籠奉納(泉野小笠原平吉氏)
平成21年(2009年)8月16日:拝殿再建 本殿(奥院)補修(棟梁 泉野小笠原平吉氏)
平成22年(2010年)5月14日:境内拡張(586㎡ 矢田前三上盛雄氏寄贈)
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「豊穣無窮 青森県知事北村正哉」(県営原別地区ほ場整備事業竣工記念)。
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この碑だけで社地の3分の1くらいの面積を使っているような…。
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