
由緒等不明。御祭神は少彦名命かな。

先代増田医院長が青少年健全育成のために偉人堂として建てたものであり、薬師様を祀っています。

戦後に久須志神社に改称されました。宵宮のみを旧7月7日に行っているそうです。

社殿内には神輿が見えました。

境内の左手には相撲に関する記念碑が並んでいます。

伊勢海利助追慕碑。五代目原庄右衛門基徳による筆。元々は乾橋付近の国道沿いにあり、現在地に移されたそうです。

『伊勢海利助は鶴ヶ岡出身、しこ名を柏戸という。江戸相撲の大関となり、その名を全国にはせた。1848年建立。』

花田きゑ殿を称える碑。若乃花・貴ノ花の親。

こちらは読み取れず。

社殿の裏に回ると庚申塔がずらり。


庚申塔群の中にある毛内翁土功之碑。

文化3年(1806)から文政5年(1822)までの17年間に6270本のタモ、胡桃、柳、萢柴木、杉等の樹木を植えて防風林(毛内林)を造成したそうです。元々は毛内林の中にあった碑ですが現在地に移されています。頌徳碑(顕彰碑)の中では当市最古のもの。

『毛内治兵衛は、17年間にわたり川原へ6000本余の植樹を行い、防風林の役目を担った毛内林を造成した。1827年建立。』

こちらの碑は明治32年銘ですが、上部が破損しております。

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