イメージ 7

イメージ 8
趣ある小路は結構入り組んでいて迷路のよう。周囲には数多くの飲食店が立ち並びます。荒木町の地形はかなり高低差のある擂鉢状の窪地で、散策するにはとても楽しい街です。
イメージ 9
イメージ 10
荒木町一帯は江戸時代に美濃国高須藩藩主である松平摂津守義行の屋敷がありました。そして明治時代の荒木町一帯は、屋敷跡の池や庭園によって東京近郊でも名の知られた景勝地となり、料理屋が軒を連ね、芸者らが行き交う非常に風情のある花街でした。現在もその面影を色濃く残しているので、散策していても飽きないんですね。
イメージ 11
イメージ 12
そんな荒木町の歓楽街の中で、江戸切絵図にも載っている趣ある石畳の坂道を下っていくと、谷底に突如現れるのが策の池。
イメージ 13
イメージ 14
松平義行の屋敷には4mに及ぶ滝を伴った大きな池があり、徳川家康が鷹狩りの際に乗馬用の策をここで洗ったことから策の池と呼ばれています。
イメージ 15
ピッカピカ過ぎて逆に読みにくい説明看板より(笑)
イメージ 16
イメージ 17
策の池…『江戸時代の古書「紫の一本」によれば徳川家康がタカ狩りの時近くにあった井戸水で策を洗ったので策の井戸と呼び、澄んだこの水が高さ4mに及ぶ滝となりこの池に注いでいたので策の池と呼ばれ「十二社の滝」「目黒不動の滝」「王子の名主の滝」等と並び江戸八井のひとつとして庶民に愛されていました。天和3年(1683)美濃国高須藩々主松平摂津の守がこの付近を拝領し上屋敷としましたので庶民から遠のきましたが約190年後の明治5年(1872)時の政府による廃藩置県の発令でこの池が開放され明治7年荒木町として住民の町になりました。人々は藩主の名を慕い「津の守」と呼び今なお愛称されています。現在では湧き水は減って池も埋まり、この滝つぼ跡に昔の語り草をわずかに残しています。古来池のほとりにあった弁天祠を昭和31年崇敬者によって現在地に遷座再建し「津之守弁財天」の御神明で町民の守り神としてお祭りし御加護を受けています。平成17年乙酉卯月。荒木町々会 解脱会』
イメージ 18
イメージ 19
ここは滝つぼだったんですね。
イメージ 20
津之守弁財天。
イメージ 21
イメージ 22
イメージ 23
イメージ 24
綺麗にされてますね。
イメージ 6
あっ、亀がいる。スッポンもいるらしい。
イメージ 5
古井戸。
イメージ 4
境内には桜があり、高遠小彼岸桜の説明もありました。
イメージ 1
イメージ 2
イメージ 3
イメージ 3
イメージ 2