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二の丸御外庭の築山(紅葉山公園)に鎮座。
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藩祖板倉重昌(寛永15(1638)年元旦、島原の乱で討死)を祀ります。
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重昌は天草島原に蜂起したキリシタンの一揆を鎮圧するために幕府が組織した連合軍の総大将でした。その後裔が元禄15年(1702)から福島藩主となります。
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本殿は旧城内にあった藩祖重昌の御霊屋を移築したもの。
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板倉氏福島藩就封300年…『■福島城と板倉氏…蒲生氏や上杉氏の支城であった福島城は、延宝7年(1679)より独立した福島藩が成立し、本多(1679-1682)堀田氏(1686-1700)の支配を経て板倉氏が三万石の領地を支配した。福島城板倉氏初代藩主は板倉重寛で、元禄15年(1702)12月に信濃国坂木の領主から移封され、それ以降167年間、明治2年(1869)まで12代にわたり板倉氏の藩主が続いた。領地は信夫郡の内23ケ村、伊達郡の内8ケ村を統治し、その他上総(千葉県)と三河(愛知県)に分領があった。板倉氏の長期にわたる支配を通じ、現在の福島の町の基礎となった福島城と、その城下町の町割形成などが完成した。板倉神社には藩祖である板倉重昌(寛永15年(1638)島原の乱で討死)が祀られている。■平成14年に就封300年記念行事を開催…平成14年(2002)は板倉氏が福島藩主に任ぜられてから300年の記念すべき年にあたります。福島市では「川から陸への町づくり、古きを訪ね新しきを知る」をテーマに福島城下町探訪を呼びかけ、また平成14年度中に就封300年の記念の行事が大々的に行なわれます。■板倉氏支配時代の福島城の内堀と外堀…現在の県庁舎(西庁舎・本庁舎・東庁舎)と第一小学校、福大職員会館を取り囲むように土塁がめぐらされ、その上に鉄砲狭間158の窓をもつ塀が建てられ、その外側に深い水濠が掘られていた。郭内総坪数は75,790坪もあった。外濠は今の天神橋あたりから、荒町の裏通り(東裡)を北上し、平和通り、水道局を経て、三井ビル北側あたりから北町中側南~長楽寺北を通り阿武隈川につながっていた。』
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「福島の復興は板倉神社の再建から」板倉温故会案内板より…『奥州板倉家初代板倉重昌の霊を祀るため、第11代勝長が、寛政4年(1792)12月9日、江戸藩邸に勧請したものを、文化2年(1805)福島城へ遷宮し、城内の稲荷社へ安置したのが始まりです。明治2年(1869)板倉家の三河国重原への移封にともない、社は野田村八幡神社の境内社となりましたが、廃藩置県後、旧福島藩士をはじめ同領内の有志者によって、野田村の社の分霊を祀ることを県令三島通庸へ請願、明治15年(1882)許可を受け、同年10月、福島城跡の紅葉山に社殿を建てたのち三河の分霊を遷宮、現在に至っています。この度の東日本大震災において長年親しまれてきた本殿と拝殿が著しく被災したため、解体の上建て替えする運びとなりました。板倉神社の再建により福島の復興が一日も早く進むことをご祈念致します。』
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板倉神社由緒…『板倉神社は、福島藩の初代藩主であった板倉重昌を祀ったのが始まりである。文化2年(1805)ここ福島城内に社殿を造営し、代々の藩主をはじめ家臣の尊崇を集めた。明治になって福島藩が三河国重原に移ることによって社も移ったことがあったが、明治13年(1880)藩士や縁ある市民の手によって、ここ紅葉山のこの地に旧神殿を移し拝殿を建立して、御分霊をまつり、藩にかかわりある人びとをはじめ、多くの市民の信仰を集めてきました。板倉藩福島城の名残を残す紅葉山の一角に唯一残される近世以来の信仰は今日にまで続いている。拝殿内には歴代藩主の2人、8代勝長、10代勝顕が献じた絵馬(市指定)と共に市民の祈願をこめていた姿も残っている。』
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印塚。
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印塚…『印章は、私たちの分身とも言うべき魂のある大切なものです。この塚は、永年愛用した印章に感謝し、その霊を慰める供養所がほしいとの市民の願いを受け、昭和57年10月に建立されました。平成23年3月11日に発生した東日本大震災により被害を受けた板倉神社を再建するのに合わせ境内に再整備いたしました。どなたにでも納めていただけます。多くの方にお利用いただきご供養していただければ幸甚であります。印章を納める際は、傍らの印磨石で印画をすり落として下さるようお願いいたします。』
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手水舎。
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狛犬一対。
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歌碑「つばくらめちゝと飛びかひ阿武隈の岸の桃のはな今さかりなり」
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『歌人若山牧水は、大正5年(1916)4月に福島に来て、この「阿武隈川のうた」を残した。大正年間には、ここ紅葉山から阿武隈川の岸辺を見渡すと、その岸辺-山麓にかけて桃畑が続いて、その花が美しく咲いていたのであろう。昭和41年(1966)になってこの地に、この碑を立て、福島市の生んだ作曲家・古関裕而によって「阿武隈の歌」の曲を得て、永久にここに残ることになった。歌碑の裏面には、その由来を伝えている。』
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板倉神社「本殿、拝殿」再建奉賛者御芳名碑。
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復興祈念碑…『2011年(平成23年)3月11日、東日本大震災により、東北地方一帯は巨大な地震に襲われました。その直後の大津波と合わせ、その被害の大きさは想像を絶するものでした。当板倉神社もこれにより損壊しました。福島の人々の傷はいまだ癒えず、復興もその途上にあります。私たちは、板倉神社の再建こそが、その一歩となると信じ、再建を決意、関係者のたゆみない努力と多くの人々の善意に支えられ、平成25年5月、ついに落成の日を迎えることができました。大震災からの1日も早い復興と福島の人々の繁栄を祈り、板倉神社再興に力を尽くしていただいたすべての人々への感謝を込め、この碑をもって復興の証とします。板倉家第20代当主板倉敏和』
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神社のすぐ横が阿武隈川。神社境内から見た大仏橋・松齢橋。
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神社境内から見た天神橋。
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