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鳥谷崎神社と同じ境内に鎮座しております。
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花巻御柱神社。
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『この御柱神社は、明治以来近代国家建設の途上遭遇した幾度かの戦いで尊い生命を国に捧げられた郷土出身の英霊をお祀りした御社です。英霊に感謝と報恩の誠を捧げましょう。』
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社殿。
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社殿内。
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狛犬一対。
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大東亜戦争戦没者英魂碑(昭和41年3月3日沖縄戦跡迎拝記念)。
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忠魂碑。
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勲二等谷村貞治先生銅像。
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谷村貞治の寿像と顕彰碑。
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谷村貞治翁経歴。
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高村光太郎詩碑。
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一億の號泣…『綸言一たび出で一億号泣す。昭和二十年八月十五日正午、われ岩手花巻町の鎮守鳥谷崎神社社務所の畳に両手をつきて天上はるかに流れきたる玉音の低きとどろきに五體をうたる五体わななきてとどめあゑず。玉音ひびき終りて又音無し。この時無聲の號泣國土に起り、普天の一億ひとしく宸極に向ってひれ伏せる知る。微臣恐惶殆ど失語す。ただ眼を凝らしてこの事実に直接し、苛も寸毫の曖昧模糊をゆるさざらん。鋼鉄の武器を失へる時精神の威力おのづから大ならんとす。真と美と到らざるなきわれらが未来の文化こそ必ずこの號泣を母胎としてその形相を孕まん。昭和二十年八月十六日花巻にて』
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その他石碑。
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こちらも鳥谷崎神社境内社となる早坂稲荷神社。
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早坂稲荷神社の由来…『源頼朝は建久3年(1192)平泉藤原氏を滅ぼした。この功績に稗貫氏はこの領地を与えられ、本舘の地より鳥谷崎に移った。その折に、城や住民の鎮守安寧を祈願する稲荷神社として遷座したものである(鳥谷崎城二ノ丸の早坂御門の近く、現花巻小学校北側校舎下早坂の途中に標識あり)。天正19年(1591)稗貫氏が豊臣秀吉の小田原の陣に参戦せぬ故を以って所領を没収され、南部領となり、鳥谷崎城を花巻城と改称した。花巻開町の祖と言われた、時の郡代北松斎公は、寛永2年(1625)稲荷神社を郡代屋敷(現花巻小学校校舎西方)の地続きに再建遷座。明治5年(1872)花巻城廃城(郡代屋敷跡地が後に学校になる)。昭和35年(1960)鳥谷崎神社境内社として現在地に遷座。早坂稲荷神社は花巻小学校の一角に鎮座し、学童の守護神として祀られておりました。この神様は特に、身体健全、学業成就等の日々の生活に霊験あらたかで、広く信仰されております。』
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花巻城本丸跡の説明と地図もありました…『現在の本丸跡は児童公園になっており、遊歩道が一周まわっています。春には桜、秋には紅葉と市民の憩いの場となっています。城跡らしく南堀側には土累が廻っており、所々に井戸跡や武具蔵の跡などの標柱があります。』
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花巻城と花巻小学校(地図)。
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『本神社は、もと花巻小学校校庭の一角に鎮座し、学童の守護神として祀られておりました。その後国の制度が変わり、昭和35年現在の地に遷座されました。この神様は特に学業成就・勝負必勝に霊験あらたかで広く信仰されております。』
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鳥谷崎神社神輿庫と御柱神社の間に鎮座。
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社殿前にお狐様がおられます。
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早坂稲荷神社再興之記…『花城之乾早坂之上祀稲荷神星霜悠久廢藩置縣百事改革樓郭盡撤社宇僅存本年二月町會決議卜地定域建築校舎社宇亦遷坐校地内群童嬉遊或畏冒涜乃營新殿且造祭器奉幣進饌祟為鎮守神霊彰彰稜威赫赫錫福無窮伏而攸祈 幣家慈母八十八歳篤信大神深感佑護茲献遷坐營造之資恐惶再拜敬致精誠 昭和七年十二月花巻町長梅津善次郎謹識 昭和七年國民學校新築當時町長梅津善次郎氏社殿を改む昭和十六年七月參拜を便ならしむる為め町有志に諮り旧地に奥之宮の石標を建て此の地に遷座したり』
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小さな社。
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金勢(金精)様。
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『双玉の右を摩り、家内安全・商売繁盛・金運の願い 双玉の左を摩り、恋愛成就・子宝・安産・夫婦和合の願い事叶うと言い伝えられる。』
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で、でかっ。
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金勢様と御柱神社の間にあった小祠。
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