イメージ 20
東十二丁目村。もとは西十二丁目村と一村で島村と称していました。北上川の洪水による被害が大きかった地域です。鎮守は熊野神社。寺院として曹洞宗円通山歓喜寺があります。
イメージ 19
御祭神は伊弉諾命、伊弉册命。
イメージ 18
岩手県神社庁HPによりますと…『弘仁元庚寅年(810)開拓の満海坊紀州那智熊野大社を勧請し、小袋地に祀り、開拓の初穂を奉献祭り、生活生業万般に亘り、広大無辺の御神徳を称え、連綿と続く氏子の尊崇として祀られた。保元2丁丑年(1157)6月25日落雷炎上堂宇皆焼失となり、氏子社殿復旧せしも御神体無しを憂い、善吉なる者御分神を請願に、紀州那智に登り、那智・木宮・新宮の三熊野一面三尊の御神鏡(懸仏)を拝受し、保元3戌寅年(1158)9月15日祀り、氏子の祈願所となる。元治元己卯年(1159)境内の事情起り社殿の移転已む無くなり現在地に建立となる。元禄10丁丑年(1697)5月某日御神鏡盗難に相い四方八方捜索の所二子村宿の鍛冶職は銭弐貫文にて買い受けたるを見付け、その原価にて買い戻し、無事奉安となる。弘化3丙午年(1846)南部37代大守少将源朝臣利用候の勅正一位熊野三所大権現の御神札を拝す。慶応4戌辰年(1866)3月28日神仏習合廃止により、社殿改められた。明治3庚午年(1870)4月4日東十二丁目村惣鎮守検分の証により村社と称す。明治6癸酉年4月8日盛岡県より御神体御下渡となり(大麻)村社となる。明治9丙子年(1876)10月23日内務省より神社指令認可となる。明治41戌申年(1908)9月神社財産登録し、改めて村社となる。』
イメージ 16
イメージ 17
向拝下。
イメージ 15
本殿。
イメージ 14
神楽殿。
イメージ 13
社務所。
イメージ 12
熊野神社々務所新築再建奉賛者芳名碑(平成3年9月15日竣工)。
イメージ 11
手水舎。
イメージ 10
狛犬。
イメージ 8
イメージ 9
松尾二柱大神。
イメージ 7
境内社となっています。
イメージ 6
白山社。
イメージ 5
金勢社。
イメージ 4
古峰神社碑。
イメージ 3
馬頭観世音・庚申塔。
イメージ 2
稲荷大神。
イメージ 1
イメージ 3
イメージ 2