つがる市稲垣町下繁田。かつての下繁田村。
岩木川沿い。土手から下がった場所に鎮座。
下繁田村の開発は文政元年(1818)新田奉行半田忠左衛門が繁田村内に開墾を命ぜられ、芦屋村の太次郎・伝次郎、川除村の伝九郎、野末村の四五右衛門、家調村の孫右衛門らを移住させ、1軒に5反歩の開墾地を与えて開墾に従事させたことに始まり、同7年には家数13軒となり下繁田村と称しています(諸説あり)。
文政元年創立の七面宮。
村の氏神として祀られ、下繁田七面様と呼ばれ親しまれています。
向拝下。
七面宮内。
狛犬一対。
隣の建物は馬頭観世音菩薩堂。
馬頭観世音菩薩堂内。
大変丁寧に祀られております。
七面宮から見て左側には日蓮宗 唯明山 要法寺。
天保3年木造村実相寺の末庵として要法庵の号を賜り、日蓮宗要法寺となりました。
昭和16年に寺号を公称。開山開基松山院日達、開基檀越斉藤清太郎。
本尊勧請様式は一塔両尊、合掌印で、祖像は折伏像。その他、七面大明神、鬼形子母神、清正公大神祗の諸像があるそうです。
要法寺地蔵堂。
庚申塔他、様々な石塔。
皇紀2600年支那事変参加記念碑(高山松堂書)。
水虎様。
開村100年祭紀年碑。
『開村年号文政元寅年・大正6年7月19日建立・下繁田戸主會・下繁田青年団』
開村150年祭記念碑。
『開村年号文政元戌寅年・昭和41年9月3日旧7月19日下繁田部落有志一同建立』
故中村彦一先生之碑。
『大正6年11月11日・下繁田学区内父兄一同・下繁田青年団』
高祖日蓮大菩薩碑。
けやき(樹齢300年以上・指定文化財第5号)。
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