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天和年間には柳田・江沢・桜沢・桜沢地子新田の4ヶ村の総称を柳田村と呼んだそうです。
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参道。
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線路を渡ります。
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貞享4年検地水帳によりますと、地蔵堂地と熊野堂地が見えます。
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御祭神は別雷神。
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万治2年(1659)勧請。年代的にはかつての地蔵堂と考えられますが、その関連はわかりませんでした。
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明治9年11月村社。柳田桜沢の産土神。
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社殿内。
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さて、帰ります。
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「危険ですので線路横断はしないで下さい」って…帰れません。
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神社入口に「菅江真澄の道(柳田)」がありましたが、当神社については触れられていませんでした。
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『深浦を立って鯵ヶ沢に向かった真澄は、寛政9年(1797)5月7日(「つがろのおち」)柳田村の「田づらを行に」苗がよく伸びているのを見て一首詠む。「かげおつる里の柳田風ふけばみまち涼しくなびくわかなへ」』
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『藤の花がまっ盛りなのを見て詠んだ一首。「紫の糸くり返し夏かけてさかりを見する野辺の藤が枝」。関村に入る前に柳田の記事を書いているのは真澄の記憶違いであろう。』
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