
弘前城下から岳に至る百沢街道沿いにある村。

かつて五代村から新法師村を通り、百沢村までの間に874本の松並木が植えられていました。現在も63本が残っており、藩政時代の面影を伝えます。

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新法師村に鎮座する大山祇神社。


御祭神は大山祇命。

創建は不詳。祭日は8月12日で、第二次世界大戦前は旧8月12日に行っていました。昔はこの日に地区の獅子踊りを当神社境内にて盛大に行っていたそうです。

境内にはいくつかの石が転がっていました。


土地改良事業記念碑…『農は国の基なり農地は農民の資本なり宝なり之が高度の活用こそ農民福祉の根源なりというべし。茲に新法師部落の発展と営農理想実現の為吾等一同相寄り相計り土地改良事業共同施行を設立して、遠く治承年代より続く父祖伝来の狹田曲田を区画大整理せん事を計る。幸い岩木町町長鳴海弥一郎氏をはじめ関係各位の絶大なる御高配を賜り、国並び県町の補助を得て、昭和四十二年十一月事業の着工にかかる。途中幾多の困難と障害ある時も役員は常に部落民を信じ部落民また役員を頼り和衷協同一致協力して事に當たる。かくて昭和四十五年八月、二千九百七十万円の経費と二年九ヶ月の歳月を以て初期の目的を達す水田総面積三十六ヘクタアル農道五千七百米用排水堰一万七千五百米に及ぶ大工事なり。茲に一切の登記事務を完了し部落民一同欣喜雀躍、依而その感激と部落和合の成果をこの碑に刻み永く後世に伝えんとするものなり。昭和46年4月8日建立 川口桂舟書』。

記念碑…『測量及書類調製者太田竹次郎。明治九年十二月の調査に因り當大字新法師有山林原野総及別百二十九町二及二畝二十八歩所有の内畑に開墾果樹栽培して昭和五年八月畑十七町四及十七歩無償贈典を受け仝八年四月畑十六町及三畝二十八歩無償贈典を受け仝九年三月畑十九町四及八畝十六歩有償特賣を受け三回に渉り何れも村會議員太田竹次郎君の盡瘁に因り大字新法師有管理者岩木村長より各人所有権を與られたる故茲に記念碑を建設したる所以也 昭和9年6月 高山松堂書』

庚申塔。


境内案内看板より…『祭神は大山祇神であるが、民間では「山の神」と親しまれている。山を聖なるものとして崇めてきていることは洋の東西を問わず世界各地共通であり、日本も例外ではなく、岩木山も祖霊の住む山、また、水分(みく)まりの山として信仰され、山麓のこの地に「山の神」を祀ったものと考えられる。大山祇神は古来、山林を業とする人や、狩りをする人達の守護神として崇められてきたが、分水嶺としての山の姿から、田の神、農の神としても信仰されるようになり、山の神、村の神と一体となって信仰されてきた。当社の創建年代は不詳であるが、当新法師の地に集落が形成されたのは寛治年間(1087-1094年)とも、或いは治承年間(1177-1180年)とも言われるが、当社の創建も当地の集落の形成と関わりがあるのではないかと考えられる。』

境内の片隅にある地蔵堂。


道路を挟んで神社のすぐ向かいにも小祠が見えました。


祠横の石には大山祇神社とありました。

中の小さな鳥居には「嘉永四辛亥年(1851)正月」、棟札には「再建白山宮神舎一宇」の文字が見てとれました。
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