
「関東のお伊勢さま」と親しまれ、神奈川県の宗社、横浜の総鎮守とされています。

かつては久良岐郡戸部村の丘陵に鎮座さえており、神社名、創建年代共に不明。明治3年(1870)、横浜開港によりキリスト教を始めとする外来文化に接する横浜の精神的支柱として、翌年社殿及び境内施設を竣工し遷座。



一の鳥居(昭和55年御鎮座百拾年記念)。


二の鳥居(昭和45年御鎮座100年記念)。

手水舎。


御祭神は天照大御神。

神明檜造の社殿。

関東大震災で倒壊焼失し、現社殿は昭和3年(1928)に再建復興されたもの。

本殿。

境内社として水神宮、大神神社磐座、杵築宮・子之大神があります。こちらは大神神社磐座(伊勢神宮御鎮座2000年奉祝記念事業として平成8年に大国主大神の和魂である大物主大神磐座を、大和国一之宮三輪明神大神神社より御分霊として移設鎮座)。

杵築宮(御祭神:豊受姫大神、大国主命、須佐之男命、月讀命、住吉三神)・子之大神(御祭神:大国主命、姥姫)。


杵築宮は明治初年に養蚕・海運関係者の信仰が篤く、生糸及び蚕種の守護神として崇敬され、子之大神は野毛地区の氏神で、元野毛4丁目付近に鎮座していましたが、第二次世界大戦にて炎上し、その後昭和26年杵築宮に合祀。

名木古木指定クスノキ。

社務所・祈祷願受付所・記念館。

この日は神楽殿にて豆まき行事(節分祭)が行われました。

神光樓。中央に「照四海」とあります。本居宣長の『鉗狂人』の中の「天照大御神が四海万国を照します」から名付けられた常夜灯(明治15年建設。関東大震災後再建)。

太鼓樓。

表参道脇の石碑。

横濱伊勢山碑。

蒋公頌徳碑。『蒋介石氏は明治貮拾年中國浙江省に生れ、日本陸軍振武學校に學び、高田の聯隊に勤 務中、孫文先生の辛亥革命が起り、急遽歸國してこれに參畫し、中華民國の平定と確立 に努力され、中國の最高指導者となられました。昭和6年以来日本とは不望の干戈を交えることとなりましたが、同貮拾年終戰となるや逸早く「以徳報怨」(怨に報いるに徳を以ってせよの意)の布告を出され、自らそれを實行なさいました。それは我が國の天皇制を擁護し、國體の護持に努めてくれました。我が國の分割占領に反對し、分断國家となることを防いでくれました。厖大なる賠償金を免除してくれました。中國にあった我が國の将兵や在留同胞の安全と迅速なる歸還に盡力してくれました。かくて今日の日本が存在し發展がある譯でありますがこれらの恩顧は、私たち日本國民にとって終生且永遠に忘れることは出来ません。殊に氏の「以徳報怨」の思想は中國の儒學思想に基くものであり、東洋道徳の根幹となるものでありますが、これを實践した氏の遺徳は我々日本人がたたうべき道徳の鑑であり子孫への教訓ともすべきものであります。折しも、蒋公生誕百年に當り、ここに縣民有志の御協力を戴き、蒋公が守護なさいました、天皇の御先祖を奉祀する伊勢山の地に、第5代宮司龍山庸道氏の御好意を得て、頌徳碑を建立、以って蒋公の遺徳を顕彰し、且は報恩の志を永く後世に傳えんとするものであります。神奈川県日華親善協會理事長 聖心女子大學名譽教授 助野健太郎 撰』

境内には道祖神などもあります。

万葉句碑…『石激 垂見之上乃 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨』。

『いはばしる たるみのうへの さわらびの もえいづるはるに なりにけるかも。文化功労者、歌会始召人、文学博士、犬養孝先生は明治40年東京に生まれ昭和7年東京帝国大学文学部卒業後、旧制台北高等学校に栄転されるまでの10年間を横浜に居住。大阪大学、甲南女子大学の名誉教授である。万葉集の風土的研究者として高名であり万葉故地1200ヶ所をことごとく踏査され昭和26年以来学生を連れての大阪大学万葉旅行は200回以上になり延べ36000名を越えている。また多くの著書講演を通じて文化遺跡の保存と古典の普及に多大の寄与をされた。その教え子ならびにゆかりの人びとと相寄り横浜の総鎮守伊勢山皇大神宮境内に万葉歌碑を建立する。昭和63年12月3日』

表忠碑。

境内案内図。


ちなみにこの後、近くの成田山横浜別院延命院に行く予定だったのですがなんと…

2014年の台風18号による土砂崩れで倒壊したそうで…。

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