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鯵ケ沢町芦萢町。
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芦萢村、または芦屋村とも称されていた村。菅江真澄も宿(一本杉)をとっており、雪のもろ滝にも外浜奇勝にも書かれています。
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御祭神は宇迦之御魂神。元々は不動明王堂と稲荷宮が一緒になっていたようです。
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万治元年(1658)建立もしくは再建、その後村中経営と伝えます。
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神仏分離によって不動明王堂は廃社となり、稲荷神社になります。以来、村中にて五穀豊穣を願って維持・管理。明治5年に中村久須志神社に合祀するも後に復社。
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手洗水石。
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倒木した御神木。
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石燈籠三対。
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狛犬一対。
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石段、鳥居、石灯籠、狛犬における慶應元年の紀年銘が共通しています。このことについて境内にある案内看板では『この年はなにか特別に不動明王の御利益があったのでしょうか』と記されていました。
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向拝。
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本殿。
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境内にあった案内看板より芦萢稲荷神社由緒…『所在地青森県西津軽郡鯵ヶ沢町大字芦萢町字響滝に鎮座。御神体は、宇賀乃御魂神を祭神とし、草創年月日は不詳である。万治年中(1658-61年)豊澤家が再建。以来村中が護持管理して五穀豊穣家内安泰祈願をするようになって、明治39年4月に謹請現在に至っております。稲荷神社の大祭は毎年、春の祈年祭(4月28日)、夏の例大祭(7月28日)、秋の新嘗祭(10月28日)と祭典が齋行されます。例大祭には、神主だけで舞う津軽独特の津軽神楽、天孫降臨に際し瓊々杵命を迎え奉り先導を勤めたが其の状を現した「宝剣乃舞」火遠理命が釣具を海中に失い、岩上にて嘆き悲しみつつあった時、綿津見神が海中より顕れ矛を以て藻を掻き別け釣具を発見し、綿津見の宮へ導く状の舞「磯浪乃舞」千歳を寿ぎ祝い奉りしものと伝えられ現在では武内宿禰の舞と謂われている「千歳乃舞」また吉凶を占い、五穀豊穣を祈る舞「湯立舞」が奉納されます。芦萢の一番高い山頂に、明治初年から老婆達が信仰する稲荷神社の祠(ほこら)があって、昔から不動明王が出現すると村民から深く崇敬されていました。そのため元治2年(1865年)6月建立された石の鳥居の標額には「不動宮」と記されており、又昭和2年1月4日には豊澤惣助、惣八、慶吉、三蔵らによって「不動明王出現の滝」という石碑が建立されました。元々は稲荷宮と不動宮が一緒になっていたのを、明治の神仏分離の際に稲荷宮となったと思われます。元治2年6月(慶応元年)鳥居と一緒に狛犬一対も村中の人達によって奉納され、その時参道の石段も整備されて、一段目から境内まで段毎に奉納した有志の名を刻んだ小さな石塔が建てられています。当時の参道は、中村川沿いの道から上がって来ていますので、お宮は、今とちょうど反対側を向いていました。この年はなにか特別に不動明王の御利益があったのでしょうか。滝渕村は古い村です。貞享4年(1687年)藩内田畑を一斉に調べた時の記録によりますと「ひびき滝」に三右衛門、孫兵衛、藤十郎、佐五衛門の4人が住んでいて、田三反余畑二町四反余りを耕作していたとあります。このお宮で行われる「宮相撲」は有名で、津軽一円から力、技自慢が集って盛大に催されました。岩木山神社の相撲で負けた人は滝渕で仇を取る。ここで負けると米町神明宮で勝ってやると意気込んだそうです。今は、静かなたたずまいですが、一昔前の神楽の日は近郷近在からの参詣者で大変な賑わいであったことを、後々の人々に語り継いでいきたいものです。』
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案内看板によると、かつての参道は真裏にあったようです。
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ってことで裏手に回ってみました。
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こちらが本来の参道のようです。下りていくと中村川の水の音が聞こえてきます。
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参道の途中には庚申塔など、いくつかの石碑もありました。
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石段もわずかに残っています。
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川が見えてきました。
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川の向こうの岩壁からも水が滴り落ちています。
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川の向こうの岩。
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小さな滝があるのですが葉が邪魔でうまく撮れません。
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滝の前にある「不動明王出現の滝」の碑(昭和2年1月4日・豊澤惣助、同惣八、同三蔵、同敬吉建立)。
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不動瀧…『古代より信仰され旧正月元旦に氷柱の下り具合で村中は一年の稲作を占なったそうです。現在も当時の面影として石碑が残されております。』
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熊!?
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じゃなかった。
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蓬平にあったイチイ(鯵ヶ沢町指定文化財)。
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『イチイ科、イチイ属に分類され、ブナ帯から亜高山帯にかけて生育する常緑高木。ときには高さ20m、径70cmに達する。樹皮は赤褐色を帯び浅い裂目が入っている。和名は昔イチイ材で高官の笏を作ったことから一位の位にちなんでついた。平安から鎌倉にかけて、かなりの文化をもった人たちが、この地に住みついたころに植えられたものと思われることから樹齢400年以上と推察され、この地方には大変珍しい貴重な樹である。』
鰺ヶ沢町HPより…『イチイは、イチイ科イチイ属に分類される。昔、イチイ材で高官の笏を作ったことから、この名がつけられた。別名オンコ、アララギともいう。この木がある葛西家の由緒は分からないものの、当地に住み着いた頃に植えられたものと思われる。庭師は剪定した枝の切り口から、樹齢600年と推定している。この地方には大変珍しい貴重な木である。』
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