
御祭神は大己貴神、少彦名神。


一ツ森村には元禄3年(1690)創建の薬師堂と、文禄3年(1594)病気平癒祈願のため勧請した宝量宮があり、明治4年に両社が併合し、久須志神社となりました。


明治初年には当村の高倉神社と共に種里村八幡宮に合祀するも、後に復社。


昭和9年10月8日に旧社地の大谷脇の沢9番より現境内地に移転しています。


拝殿内。

本殿。

末社の馬頭観音。


一ツ森村はまたぎの村で、安政4年の在支配帳には当村の猟師3人を含む藩御抱えの猟師12名が書き上げられています。久須志神社には大谷石之丞氏によって奉納されたまたぎ碑(社標)があります。それには、次のように刻字されています。

『明治38年4月25日、父大谷平内の二男として生れ、小学校卒業後直ちに老翁大谷吉左エ門氏に随い、友人大谷虎輔と共に狩猟業に従事、爾来今日に至る迄獲った熊の数量実に43頭に及んだ。之れ偏えに氏神の加護による事と感謝し茲に社標を奉納することにした。昭和36年7月11日大谷石之丞敬白』

大谷石之丞氏は赤石の大またぎ。大変有名な方で、神社近くの自宅前には立派な胸像が建っていました。


『明治38年4月25日、大谷平内・トセの二男としてこの地に生まれ、幼少の頃から老翁大谷吉左ェ門氏に隨い、友人大谷虎輔と共に狩猟業に従事した。昭和57年4月28日までに赤石川奥地で獲った熊の数は実に78頭の多きに及んだ。之れを記念し茲にこの像を建立する。昭和61年10月大谷石之丞』

神社から程近い場所にある一ッ森のさいかち(鰺ヶ沢町指定文化財)。


『さいかちは、マメ科・サイカチ属に分類され、国内では、中部地方以西に分布しており、この地方ではめずらしい。同じ株に雄花、雌花の両性花がつき、豆果は長さ約30cmの莢状でねじれ、薬用になる。物資不足の時には、この木の実を石鹸の代用にした。』

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