イメージ 1
イメージ 2
イメージ 3
イメージ 4
参集殿(鉄骨二階建・昭和55年完成)。大広間・宿泊300人収容可。右に禊場と相撲場があります。
イメージ 5
イメージ 6
イメージ 7
イメージ 8
参道と狛犬。
イメージ 9
イメージ 10
イメージ 11
イメージ 12
神札授与所と車祓所。
イメージ 13
イメージ 14
イメージ 15
男坂手前の御神馬と狐二対。
イメージ 16
イメージ 17
イメージ 18
イメージ 19
イメージ 20
イメージ 21
男坂(96段)。
イメージ 22
男坂上。
イメージ 23
命婦社。
イメージ 24
命婦とは稲荷狐のことです。稲荷狐から稲荷大神に願いを取り次いでもらう信仰。昭和10年に縁結びの神として建立。
イメージ 25
イメージ 26
手水舎。
イメージ 27
大鳥居寄付者碑。
イメージ 28
拝殿。
イメージ 29
西向き(海方面)です。
イメージ 30
御祭神は宇迦之御魂命・ 佐田彦命・大宮賣命。屏風山中の七里長浜沿いの丘の上に鎮座。明治26年の火災で記録焼失し、創祀については諸説があります。元禄年間浅野内匠頭刃傷による赤穂城明け渡しの際、藩士寺坂某が城内鎮守の稲荷大明神の神霊を奉持して各地を漂泊。弘前城下に仮寓後、鰺ヶ沢に移って始めた赤穂屋という造酒屋が繁盛。宝暦年間にその子孫が北海道へ移住する時に船が当地で進まなくなったので稲荷大明神を祀ったという説と、慶長年間牛潟村の三五郎という者が稲荷を信仰し、京都伏見稲荷神社から神霊を勧請。伏見に山容が似ている当地に祀ったという説。他にも平安後期の陸奥の豪族安倍貞任が創祀したとも、鎌倉期に牛潟城主政子某が北門鎮守のために勧請したとも伝えます。農業・漁業の神として多くの信者を持っており、その信仰圏は県内はもとより、北海道・東北・神奈川・静岡に及んでいます。大正初期頃から宮司がゴミソに神習教の教導職免許状の斡旋をし、ゴミソを掌握したのが大きく発展した理由とも言われています。
イメージ 31
イメージ 32
神社庁HPより…『当社の創建については、江戸時代にいくつかの稲荷創建の伝承説が残されている他に、安倍・安東氏の創建であるとも伝えられる。天和四年に作成された古地図には、三王坊山と記載されていることから、それ以前は三王大神を祀り、難所であった周辺の海路、陸路の守護神であったと考えられる。おそらくは、安倍・安東氏の統治時代に三王神社が祀られ、江戸時代になって当地に開墾の鍬が入れられてからは稲荷神社になったのだと考えられる。明治初年、「神社明細帳」脱漏となるが、大正五年八月二十五日無格社として承認される。その間、明治二十五年新社殿造営なるも、翌二十六年火災により焼失。以後約五十年余を仮社殿にて過ごし、昭和二十三年新社殿を造営。以後十年毎に復興事業を進め、平成六年に復興百周年を迎え、神社復興百周年奉祝大祭を斎行。』
イメージ 33
イメージ 34
イメージ 35
イメージ 36
案内板より…『当社の御創建の年代は詳らかでないが、鎌倉時代から室町期にかけて此のあたりを統治していた豪族安倍安東(藤)氏の創建と伝えられる。江戸時代の古地図には、高山の地は三王(山王)坊山と記されており、当社の境内社である三王神社御創建の社伝には、十三湊東方に山王日吉神社を中心に十三宗寺が建ち並ぶ一大霊場があり、安東(藤)氏の祈願所として栄えるも1443年(嘉吉三)[または1432年(永享4)]頃に南部勢の焼き討ちにより焼失。この時、山王大神さまが黄金の光を放って流れ星のように高山の聖地に降り鎮まられた、と伝えられる。稲荷神社創建の社伝には、江戸時代の元禄14年(1701)、播磨国赤穂藩主浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)の江戸城中での刃傷事件による藩取りつぶしの際、赤穂城内に祀っていた稲荷大神の御霊代を藩士の寺坂三五郎が奉戴し、流浪の果て津軽の弘前城下に寓し、その後鯵ヶ沢に移り住み「赤穂屋」と号し醸造業を営み栄える。その子孫が渡島に移住するにあたり、この高山の霊地に祀れとのお告げにより遷し祀った、と伝えられる。稲荷創建の社伝は他にも諸説あるが、何れも江戸時代に入ってからのことである。これらを総合して考えると、元々は三王神社が祀られ、その後江戸時代に稲荷神社が創建され、江戸時代の稲荷信仰の隆盛とともに稲荷神社が繁栄し元々の三王神社が後退したものと考えられている。』
イメージ 37
御祈祷昇殿所。
イメージ 38
本殿。
イメージ 39
イメージ 40
立派な本殿。木造銅板葺、三棟流造前後千鳥破風。
イメージ 41
ガラス張りの向こうに本殿内の狐が見えました。
イメージ 42
本殿横の木と石碑。
イメージ 43
『綿津みの海のかなたの国迄も鎮めまさなむ神の御心』菊池幸次郎翁詠。
『あんとうとおしものきものすむ家をまもる高山稲荷大神』
イメージ 44
高山稲荷神社の真後ろに鎮座する三王神社等に向かいます。
イメージ 45
イメージ 46
山王鳥居。
イメージ 47
高山三王神社。
イメージ 48
イメージ 49
イメージ 50
イメージ 51
『三王稲荷神社奉納人 青森市古茶屋町 大成教高山講社本部 昭和7年3月20日 社長中里滋53歳 中里みゑ51歳』
イメージ 52
熊五郎稲荷神社。
イメージ 53
よんこ稲荷神社。
イメージ 54
よんこ稲荷神社の後ろにある稲荷神社。
イメージ 55
イメージ 56
イメージ 57
作丈一稲荷神社。
イメージ 58
高山稲荷神社正面にある末社へ。
イメージ 59
千代稲荷神社。
イメージ 60
大島稲荷神社。
イメージ 61
三五郎稲荷神社。『津軽ふるさと散歩(小舘衷三)』に次のような記述があります…『車力村海岸部の高所にある高山三五郎稲荷様である。津軽の稲荷信仰のメッカであって、牛潟から四キロの道路も舗装され、大祭時はもちろん、平常でも参詣人が絶えない。この神社の縁起は明治二十六年の火災で記録が焼失してわからない。藩政時代の宗教関係の資料に全く見えないことから、社はなかったようで、あっても「ほこら」程度と考えられる。一説には四十七士で有名な播州赤穂城の館神で、関係者の一人が鰺ヶ沢に移祀し、さらに七里長浜の霊地に祀ったのがこの者である、というが伝説の域を出ない。
イメージ 62
イメージ 63
末社高山稲荷神社。
イメージ 64
イメージ 65
その他末社。
イメージ 66
イメージ 67
龍神宮方面へ向かいます。
イメージ 68
今度は下り。
イメージ 69
イメージ 70
イメージ 71
いたるところに稲荷狐がおります。数え切れません…数えてないけど。
イメージ 72
龍神宮です。
イメージ 73
昭和25年鎮座。昭和28年地鎮祭・遷座祭。
イメージ 74
池に囲まれています。
イメージ 75
イメージ 76
龍神社神像製作者は棟方一氏(志功実兄)。
イメージ 77
社殿前には狛犬2対と稲荷狐2対がいます。
イメージ 78
イメージ 79
イメージ 80
イメージ 81
神明社に向かいます。
イメージ 82
神明社には名物の千本鳥居をくぐっていきます。
イメージ 83
今回こそ数えるぞ!(笑)
イメージ 84
ってことで数えてみました。
イメージ 85
到着。201本ありました。ちょうど200基じゃなかっただけでも数えた甲斐があります(笑)
イメージ 86
神明社。御祭神は天照皇大神。
イメージ 87
伊勢神宮第61回式年遷宮に当り、古殿舎材の御下賜があり平成7年9月に創建。
イメージ 88
神明宮裏手の風景。
イメージ 89
無数の廃稲荷ゾーン。
イメージ 90
神明社からの二百一本鳥居。
イメージ 91
イメージ 92
女坂を下って戻ります。女坂の方がかなり楽!
イメージ 93
境内案内図。
イメージ 94
イメージ 3
イメージ 2