真土村は東は近名村、北は二本木村、西は竜ノ口村に接し、南は岩木川を挟んで悪戸村に相対します。
寛永17年(1640)の津軽百助宛の津軽信義黒印知行宛行状に「一真土村之内」とあり、村内に津軽百助の知行地がありました。
語源は良質の土を産するところに由来し、藩政時代よりこの土を使用して下川原焼等数種の焼物を焼き、特に悪戸焼は藩主の奨励を受け松前等に移出。
御祭神は香具土神。
創建不詳。浅瀬石から植田村に勝軍地蔵を移す際に、ここで暫時休んだという由緒ある神社。
明治6年4月には神仏分離により駒越村の愛宕神社に合祀、後に復社。
境内案内板によりますと…『愛宕神社の起源は、天応元年(781)和気清麻呂が光仁天皇の勅命により、京都愛宕山に平安京の鎮護として愛宕山権現を祀ったのが始まりであり、本地仏は勝軍地蔵である。江戸時代に入ってから、垂迹身の迦具土神が火の神であることから、城下や町村の防火鎮火の神として信仰されるようになった。津軽においては藩祖津軽為信が家運長久国家安康の祈願所として、慶長6年(1601)浅瀬石村(現在黒石市)に勧請したのにはじまる。当地に祀った年代は不詳であるが、植田に愛宕神社を遷座した後に分身を祀ったものと思われる。』
駒越の愛宕神社と同じ内容ですね。
本殿横にある夫婦御神木。
本殿。
社号標。
愛宕神社除危記念碑(昭和8年1月14日)。
愛宕神社宮地拡張記念碑(昭和11年11月)。
皇紀2600年大鳥居献納記念碑(昭和15年旧6月14日・高山松堂書)。
譲與紀念碑(昭和25年6月24日)…『昭和23年4月30日申請の當神社境内地は法律第53号に依り仝24年7月30日譲與せらる。』
記念碑(昭和48年6月14日建立)…『昭和31年4月以来真土村の復興の為諸事業として念願の保育園の新築開設真土一町田間の道路の新設更に部落内の道路を拡張電話の架設と放送施設の諸事業を短日月の間に實現す本事業の達成の為には各委員と部落民の全面的な協力と相俟ち責任者佐藤定衛佐藤金作両氏特に盡瘁せり。更に昭和35年4月の区画整理事業と昭和33年8月12日の未曾有の大洪水の為め流失したるこの記念碑を50年来の愛宕神社大祭を記念して再建するものなり』
鳥居と電話ボックスの間にあった不明の石。
もはや電話ボックスの方が珍しかったり。
隣接している延命地蔵堂。
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