イメージ 25
旧相馬村。ロマントピアからも程近い場所。
イメージ 24
小高い山の上に堂宇が見えたので参詣しました。
イメージ 23
馬頭観世音堂のようです。
イメージ 22
紙垂の隙間からは鏡と白馬の像が見えていました。はっきりとは見えませんでしたが、その白馬の後ろには「昭和28年旧10月17日」の棟札他2枚。棟札を見ればある程度の由緒がわかりそうでしたが本堂内なので断念。いずれにしましても大変丁寧に祀られており。崇敬の篤さを伺うことができました。
イメージ 21
壁には絵馬や草履などが奉納されていました。
イメージ 19
イメージ 20
手水鉢。
イメージ 18
さて、こちらは同地区にあった庚申塔です。庚申塔自体は青森県内では全然珍しいものではないのですが、きちんと案内板が設置されているのは珍しいので立ち寄りました。ここに安置されている庚申塔の説明ではなく、一般的な庚申塔の説明でした。
イメージ 17
庚申塔…『相馬村には、ここにあるような庚申塔が15ヵ所に25基ある。これは庚申様の信仰によって建てたものであるが、庚申の日は60日に1回で、このときに信仰の集まりが開かれたといわれ、塔の建立は庚申の年か旧暦で1年に5回または7回庚申の日があった年に建立したという。庚申様を拝むのは、身体の中にいる三尸という虫が、人の眠っている間に抜け出し、天に昇って帝釈天という神様に悪事を告げるということから眠らないでお祈りをするというのである。このことから旧暦23日に眠らないでお月様を拝む23夜講と同一視するむきもある。塔の表面には「庚申塔」のほかに、「庚申」とだけ書いたものや、「庚申堂」、「庚申像」というものもあり、「金剛帝釈尊天」「南無帝釈天」と書いたものや、御神体を刻み込んだものもある。塔の建立は庚申講の人達や、それを代表する人によって行われた。相馬村で一番古いのは、湯口の石戸神社にある宝暦10年(1760)のものである。』
イメージ 16
紀年銘は左から昭和27年・明治35年・嘉永7年・明治11年。
イメージ 12
イメージ 13
イメージ 14
イメージ 15
関連記事:「庚申塔
イメージ 11
こちらも同じく水木在家にあった鳥居。
イメージ 10
由緒等は一切不明ですが非常に丁寧に祀られております。
イメージ 8
イメージ 9
こちらの石碑には墓所とありました。
イメージ 6
イメージ 7
社殿の裏にあった不明の石。
イメージ 5
社殿裏は崖となっており、下には水路、そして相馬川が流れています。
イメージ 4
周囲はいくつかの水路に囲まれております。
イメージ 2
イメージ 3
隣に立派な家があるのですが、庭にヤギが数匹いてびっくりしました(笑)
イメージ 1
イメージ 3
イメージ 2