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江戸時代中期に小名木川水運をもとに村々が栄え、その鎮守様として5つの神社(永平神社・子安神社・小名木神社・北本所牛島神社・南本所牛島神社)が建立されました。
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昭和20年3月10日、東京大空襲にて焼失しますが昭和27年には上記5社を合併し現在地に鎮座。
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昭和53年に現在の社殿及び参集殿を新築。
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平成14年に御鎮座50年事業として社殿修復。
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東大島神社由来碑。
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『当社は天照皇大神・牛島大神・稲荷大神を奉齋し、永平神社、子安神社、小名木神社、南本所牛島神社、北本所牛島神社の五社を合祀し、大島町東部総鎮守なるをもって社名を東大島神社と定め、昭和24年11月15日に創立せる。合併の五社は各々古き由緒をもち、五穀豊饒郷土安泰の産土神として氏子の深く崇敬せるところなりしが、昭和20年3月9日夜半の戦禍をうけ社殿その他尽く烏有に帰す同時に氏子地域の一切も亦灰燼と化し一望の廃墟となる。この無惨なる焼土の中に、住民復興の意欲を燃やしその努力は年と共に実り昭和23年に至り、大島青年会の発議により尚一層の繁栄と発展を祈念し、復興祭が催されこれが機縁となり、神社再建の声おこる。しかし五社それぞれの再建は容易ならずこれを合併し荘厳なる神社の建設を望む氏子有志の熱意により各社の総代、世話人は数次の会合を重ね、牛島神社宮司春田健一氏並びに猿江神社宮司神保鑒一氏の協力を得て地元発展のため無条件合併す。翌昭和24年初春建設奉賛会設立され同年11月新たに境内地608坪餘を購入同27年社殿を造営、同31年社務所竣工等着々整備され同年4月宮司内海利彦氏就任せる。こゝに創立10周年を迎え、合併の五社の所在地をしるし、創立尽せし人々の名を刻み当社の由来と共に長く後世に伝う。無各社永平神社(江東区大島町7丁目219番地)・無各社子安神社(江東区大島町8丁目317番地)・無各社小名木神社(江東区大島町8丁目121番地)・無各社南本所牛島神社(江東区大島町7丁目843番地)・無各社北本所牛島神社(江東区大島町7丁目460番地)』
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神輿庫。
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境内末社及び江東区有形民俗文化財。
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豊栄社。『文化2年(1805)旧小名木神社奉斎。御祭神:相模国鎌倉鶴岡宮仕・船玉宮祭主神富齋宮源常昭』
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水神宮。『宝暦11年(1761)旧小名木神社奉斎。御祭神:筒能男之神(航海・進路を護る神様)』
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六角石塔。『文政6年(1823)旧小名木神社奉斎。御祭神:罔象女命(水の神様)・大山祇命(山の神様)・猿田彦命(道の神様)・天鈿女命(芸術の神様)・埴山媛命(土の神様)。文政6葵未歳立秋吉日 神富齋』
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庚申塔。『天明7年(1787)旧南本所牛島神社奉斎。御祭神:庚申様(青面金剛像・邪鬼・三猿)。無病息災・心身健全・厄難消除の神様』
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力石。『五十貫余(187.5kg)。善助。□上□(判読不明)』。
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右下の「善助」は奉納者の名と考えられています。
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