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旧岩木町の五代(かつての築館村。天和4年の村絵図では高木新田と記されています。明治9年に五代村に合併。)に鎮座する稲荷神社。
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境内はかつての築館助五郎の居館である築館跡となっており、参道に沿って堀跡を利用した小島用水路(小島堰)があります。
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御祭神は倉稲魂命。岩木村郷土史によりますと保食神・豊受大神で、草創は江戸初期。
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天保2年(1831)、大導寺次郎市様御再建。
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天正年中(1573-1592)に、加藤清正家臣肥後国住人進藤新左衛門が豊臣秀吉の守本尊一寸八分の金銅製の御神体を預かり、その子である新左衛門が慶長18年(1613)に当国に勧請。御神体は現存していませんが、関ヶ原の戦い後のことであり、津軽家との関連から信憑性は高いと言えます。
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文化2年(1805)、弘前市本町宮崎源兵衛再建。明治5年に同地区の十二所神社を合祀し、後に復社。明治6年4月村社。明治44年9月神撰帛料供進に指定。社司は川崎久男氏先祖代々によって祭祀執行され、村人たちの守護神として崇敬されてきました。
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社殿内に右大臣左大臣。
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五代獅子舞保存会の絵馬(平成24年)。五代獅子舞は市指定無形民俗文化財。「五代鹿獅子舞の由来」なる巻物が保存会に伝えられており、獅子舞は鹿獅子の系統に属し、雄獅子、中獅子、雌獅子、オカシコで構成されます。毎年9月9日に「獅子張り」(獅子頭の修理)から始まり、旧8月15日「十五夜」に舞いが披露され、10月10日には稲荷神社に例祭奉納が行われます。
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手水舎。
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石灯籠(大正11年・昭和33年)。
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お狐様。
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本殿。
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本殿前のお狐様。
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こちらは聖観世音菩薩でした。末社として以前の地主の神社である角助稲荷神社があると何かで目にした気がするのですが、その存在はわかりませんでした。
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平和祈願碑(昭和33年10月10日・石鳥居1基、石灯籠1対奉献記念)。五代住民のこと、氏神稲荷神社に対する感謝、部落の平和と繁栄の祈念などについて書かれていました。
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閑院宮殿下御親閲記念碑(昭和11年9月23日)。
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消防記念碑(昭和34年4月25日)。
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皇紀二千六百年記念碑(昭和16年10月10日)…『村社稲荷神社の祭神は倉稲魂命にして太閤秀吉公日夕御守神とし加藤清正公家臣進藤新左衛門亦霊験無雙なるものとして信心深く之を体せるものにして慶長八丑年築館村今の五代字山本七百三十六番地に鎮座明治六年四月村社に列し明治四十四年九月勅令に依り神饌幣白料供進に指定現社司川崎久男氏の先祖代々により年々歳々祭祀執行せられ村民悉く守護神として帰依す現在の本殿は縦一間一尺五寸横五尺拝殿縦二間三尺横二間神楽殿亦縦三間横二間なる所昨今腐朽甚しく維持容易ならさるより信心厚き五代部落民相倚り相議り紀元二千六百年聖戦酣なるの時部落民全部の寄附に依り拝殿を改築し御神徳に報いんことに一決し昭和十六年七月着工昭和十六年十月縦三間横四間の新拝殿工竣ふ神厳愈々深く村民更に皇祚の無窮祈願し帰依し奉らむとす昭和十六年十月十日三上富弥謹誌高山松堂敬書』
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獅子魂碑。
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稲荷神社前にあった岩木村道改修記念碑(昭和8年4月)。
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碑文は読みにくい字体だったので読まないことにしました。
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