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深沢地蔵堂。徳本上人の3回忌並びに、文政3年(1820)に天明の大飢饉(3-4年。死者81,700名)で餓死した無縁仏の冥福を祈り、湊迎寺17世良鼓意全和尚により建立。徳本上人は江戸の人物で、一成寺(一行院とも)の僧侶。
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古来より萱葺平家建の堂でしたが、昭和27年4月の大火により焼失。同年5月に村方再建。96体の地蔵は石像であったために無事でした。毎年旧暦6月23日、24日に法要と大祭が行われております。かつては多くの露店が並び、相撲大会が行われるなど大変賑わったといいます。※渋沢敬三が昭和6年に津軽半島を旅した記録映像に当地蔵尊も記録されているといいます。
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中央に大地蔵尊。高さ7尺(台の高さ2尺3寸)。様々な伝説を残しますが、真実は板割沢(市浦村の桂川)の山の石を使用し、イカダで運んできたとのことです。背面には徳本上人為十三湊迎寺良鼓意全と刻まれています。体内には貞伝上人作の仏像が入っていたという説があります。
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深沢地蔵堂の横には水子地蔵尊。
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深沢地蔵堂の奥には深沢賽の河原堂があります。
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明治初年に祀ったのが始まりで、凶作時の餓死者や水難者の霊を弔って作られたそう。旧十三街道の守り仏として有名でした。
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中央の本尊は富萢の金沢熊吉家の先祖で出家した海音和尚の寄進と伝えます。大祭は旧暦の6月24日。
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