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大湯町村は亀ヶ岡築城に際し、城地東部に開かれた町屋敷ですが、築城中止によって目覚ましい発展は見られなかったといいます。
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築城及び当地域の開発を担当していた奉行大湯彦右衛門の墓が残っています。開村は元禄9年(1696)。
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創建不詳。享保7年(1722)、村中安全・五穀成就のために村中再建、もしくは開基。延享2年(1745)と弘化4年(1847)の棟札があります。
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御神体は衣冠束帯の木彫立像。この立像は大湯彦右衛門自作で、藩主津軽信枚像といわれているそうです。
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明治初年に一時館岡村八幡宮に合祀されるも後に復社。
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社殿横の鳥居と建物。
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うん?何かが見えます。
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水虎様でした。
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しかも河童型が2体。
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一の鳥居横にある社号標(大正14年6月10日)。
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奉祝皇紀2600年・開拓350年・大湯彦右衛門碑。
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庚申塔が安置されている建物。
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このタイプの庚申塔は初めて見ました。
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とても珍しいし、ユニークですね。
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こちらは神社から程近い場所にあった馬頭観音と地蔵堂。
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馬頭観音は石塔と小祠があり、小祠の中には木造の個性的な馬頭観世音が安置されていました。
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