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板留村の北の山手に鎮座する少名彦神社。御祭神は少名彦命。
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南津軽郡是によりますと、宝永元年(1704)勧請。明治初年の国誌には寛永年間(1624-1645)の創建とあり、宝永元年再建ということでしょう。明治以前には薬師如来も安置しており、薬師様とも呼ばれていたそう。
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明治6年に中野神社が板留村から少名彦神、大川原村から稲荷神を遷して相殿としていますが、後に復社。
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三頭木。
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御神木。
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手水舎。
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寛永元年8月、花山院忠長(1588-1662)が上流に湯の湧く場所があると聞いて訪れたところ、川の水と湯が混流して入湯できませんでした。そのため花山院忠長と村人は板を集めて湯を留めて入ったそうで、その伝承から花山院忠長が板留温泉と命名した場所と伝えますが、地名の由来を説明するために作られた話のようで、天文年間(1532-1555)の津軽道中譚には既に温泉の記述があり、それ以前の開湯であると考えられています。眼病に効果があると伝えており、その効能から少名彦命を祀っているのでしょう。
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青森県神社庁HPには次のようにありました。『寛永元年(1624)8月中旬、花山院忠長卿が鶴泉へ御温湯治なされる折り、天気も宜しいので川狩りをなされては如何かと申し上げたところ、『温泉があると聞く、入ってみたい』と仰せられた。そこで、『川上に家が三軒あり、川原の湯の出る処と水が入り交わる処に板三枚を立て、湯が入るようにしては如何でしょうか』と申し上げた。湯加減も良く小瘡に殊の他効き、眼にも大変良い。そこで、忠長卿は此処を板留と名付けられた。その後、湯の効能に感じ、御使者を遣わされ薬師の神を建立致すべき旨仰せつけられ小堂建立となった。元禄元年(1688)4月8日堂宇村中にて再建、更に宝永元年(1704)9月中にて再建す。享保14年(1729)7月堂宇修理、文化13年(1816)3月、大国主命を薬師堂内に勧請するも明治4年神社御改正に付き、同6年5月8日中野神社へ合祭する。同8年3月復社願いの上村社に列格となる。』
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本殿。
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狛犬一対。
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大正15年旧7月8日奉納。
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境内の片隅から温泉が勢いよく湧き出ていました。かなり熱そう~。
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神社から長坂を上っていくと、かつての西十和田ユース・ホステルに出ます。※現在は綺麗に改装されて、森のあかりという温泉宿になっています。
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