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高山稲荷神社境内入口の手前にあります。つがる市牛潟町。
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チェスボロー号遭難慰霊碑(Cheseborough Monument)はアメリカの貨物船チェスボローが明治22年10月に七里長浜沖で座礁大破し、船長以下19名の乗組員が亡くなった時のもの。
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明治24年に柏山の墓地に建てられましたが、昭和45年に現在地に移転。チェスボロー号遭難時には村民の献身的な救助活動がありました。
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チェスボロー号遭難慰霊碑について…『この慰霊碑は、明治22年10月、交易で来航中の米船チェスボロー号が、折からの暴風に遭遇し、西浜中ノ森沖の浅瀬に座礁大破、乗員23名中19名が波に呑まれ、4名が救助されたが、この時、怒濤逆巻く中、数人の漁師たちが生命を賭して救助に当たった。特に、その中にいた工藤はんは、瀕死の米人を自分の肌で暖め、蘇生させたという美談を讃えるとともに、あえなく異国の海に消えた19名の霊を慰めるための碑である。』
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もちろん上に登れます。
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展望台頂上。
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眺望。
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高山稲荷神社が見えます。
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下から。
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慰霊碑。
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『荒波に消えた人たちも 生き残った人たちも そして その人たちのために 最善をつくした人たちも もう誰もいない 今日もただ 鴎の声と波の音だけが 昔を偲ばせている 青森県知事竹内俊吉書』
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裏面…『今から82年前、すなわち明治22年10月30日この地、中の森沖において折からの荒天のため、米国帆走船チェスボロー号が難破し、乗組員のうち、悲運の死をとげたもの19名、九死に一生を得たものはわずかに4名であった。この時にあたり、沿岸の住民たちが、救助のために示した献身的な行為こそは尊い人間愛の発露であって美しい国際親善の物語として永久に記憶されるべきものである。先人たちの行為を誇りとし、子孫に伝えるためここにこの碑を建てる。昭和45年8月5日、アメリカ帆走船チェスボロー号遭難慰霊碑建立協賛会会長車力村長成田佐太郎、副会長木造町長成田幸吉、副会長市浦村長柏谷秀一。弘前中央高等学校長小野正文撰文』
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『明治22年10月30日、米国帆走船チェスボロー号がこの七里長浜沖で遭難した際事件発生を一刻も早く県庁へ伝えるため約64kmの道のりを韋駄天走りした佐々木兵次郎と鳴海寅吉の両氏を称えここに記念碑を建立する。平成2年8月3日、アメリカ合衆国帆走船チェスボロー号遭難百周年慰霊祭挙行協賛会 会長車力村長成田佐太郎 副会長木造町長盛貢 副会長市浦村長三重貢』
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