イメージ 1
一之鳥居横にある案内看板より…『奈良県生駒郡三郷町立野に鎮座する龍田大社は、天御柱命・国御柱命二神を祀る。大和盆地に吹き込む西風の入口にあたる龍田の地に、竜巻の旋風を天地間の柱と見立てた風の神を祀って、農作物の風害がないことを祈ったものである。田野沢の龍田神社はこの二柱に加えて、吸長津彦命、吸長津姫命の男女の風神四柱を祀っている。「奥富士物語」(天下四名君の一人と称された四代藩主信政公の事蹟を詳しく記した)によると(「津軽一統志」その他にもあり)、「貴船(野内)加茂(五本松)は日の宮、雨の宮也、風の宮は広瀬(出来島)龍田(田野沢)にて西の浜也。是即ち四柱明神。同御治代(信政公代)に御勧請ありて、折に付ての御神事絶えずと云。」とあって、元禄10年(1697)藩の祈雨祈晴・五穀豊穣・領内安全を祈願する四祈祷所の一つとして、この神社は勧請された。このため社殿修築時に歴代藩主が深く拘わり、その棟札が年代順に保存されている。安永5年(1776)8月越中守信寧(7代藩主)・寛永元年(1789)9月土佐守信明(8代藩主・嘉永4年(1851)秋越中守順承(11代藩主)。これらの棟札には、藩重役、大工、屋根葺、床屋、神官らの氏名が記され、とくに安永のは藩の公式記録(安永5年6月23日の項)にもみえるので、史料としても貴重なもので、当社の歩みを知るためにも長く保存につとめたい。なお明治以降村民たちによる修繕の棟札も4枚残されていて、これもまた史料として大事にしていきたい。以上7枚は町指定文化財となっている。』。
イメージ 2
イメージ 3
社号標は2つあり、1つは上部破損しています。
イメージ 4
さて…先が見えません。参道の整備はきちんとされていますが、どうやらこの森の中を歩いていくようです。
イメージ 5
先が見えなかったので不安でしたが、参道が直角に曲がっているだけで、すぐに社殿が見えてきました。
イメージ 6
階段を上ったところに鎮座。
イメージ 7
イメージ 8
御祭神は天御柱命、国々御柱命、級長津彦命、級長津姫命。
イメージ 9
勧請年月日は不詳。旧藩政時代、元禄10年(1697)津軽4代藩主信政勧請。旧藩時代は祈雨祈晴・五穀豊穣・領内安全の祈願所で、津軽四社・藩中四社(加茂大明神貴船大明神広瀬宮・龍田大明神)の中の1つ。藩主の崇敬が非常に厚く、神事は厳かに行われ、藩内社家頭小野若狭(八幡宮宮司)が藩主の命を奉じ、藩主又は家老に随伴し、途中行列美々しく、精進潔斎した後祈願したと記録に残ります。藩政中は社殿の造営、祭祀料は藩から給せられていました。このように著名な神社でしたが、維新後は崇敬者に維持管理を委ねられました。
イメージ 10
イメージ 11
神霊箱の外部に、「龍田大明神」(正面)、「領主従五位下津軽越中守藤原朝臣信政」(右)、「神主阿部播磨仲満」(左)、「元禄十丁丑年九月二日」(背後)と記されているそうです。
イメージ 12
イメージ 13
社殿内にも「龍田神社の縁起と棟札」についての説明がありましたが、冒頭の案内板の説明と同じものでした。
イメージ 14
龍田神社の松。
イメージ 15
町の巨樹・古木に指定されています。
イメージ 16
イメージ 17
イメージ 18
イメージ 19
イメージ 3
イメージ 2