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松神村は元和年間には開村していたと考えられる村。自然に囲まれた神社です。
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カラスザンショウ(ミカン科イヌザンショウ属)の林『カラスザンショウは、本来ヤブツバキクラス域の先駆植物として、伐採跡地や野火跡など自然が一度破壊されたところに他の樹種より先に侵入し、その森林が成長するとともに後から侵入してくるイタヤやシナノキなどの有占割合が高くなるに連れて、次第に姿を消して行く樹種である。暖地系植物のカラスザンショウが、北方の松神神社にどのように侵入して、定着したかは明らかではないが、神社境内に大量に群落林を形成していることは、植物学上貴重なものである。毎年多量の結実をするにもかかわらず、幼樹が少ないことは安定期を過ぎたと見られている。昭和58年の日本海中部地震以後、台風や冷害など大量の枯損をもたらし、次第にエゾイタヤカエデ、ケヤキ、ハリギリなどが勢力を増してきており、これらの森林に移行中の状態である。』
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植物にかなり疎いのでカラスザンショウがどれなのか全くわかりませんでした。後からネットで調べたけど全然違うもの撮ってるし(笑)
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松神神社はどうやら松神神明宮&武甕槌神社のようです。
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御祭神は天照大神・武甕槌神。
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慶長年間(1596-1615)村内安全のため建立。安政2年神社書上帳によりますと、毘沙門宮があり、正保年間(1645-1648)の再建と伝えます。この毘沙門宮は武甕槌神社。国誌によりますと、神仏分離によって当村の武甕槌神と神明宮が共に黒崎村の熊野宮の相殿に合祀されるも後に復社。
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菅江真澄が外浜奇勝にて次のように記しています。『田のほとりの山のきわに、鳥居が二ヵ所みえた。何の神の社があるのかと、畦づたいにたどってゆくと、左に多門天王を祭った堂がある。近年、修理されて、覆いのかやぶきの屋根も新しかった。右に、いくらか離れて神明の祠がある。ところが屋根は古びており、かやも朽ちて破れ、幣の串ばかりが立っていた。千度まいりの御幣をいれる箱が、奥深くおちこんだ胡桃に砕かれて、雨露にぬれていた。どうしてこのように仏の教えをのみあがめ尊んで、神社がこのなに荒廃しているのに平気だろうか。ああ、神主がいないのか。千木、片削ぎをのせた屋根はなくとも、柴を刈りあつめて覆ったらよかろうにと残念で、涙がはらはらとおちた。ぬさとちる木々の木葉の手向のみあれにあれたるこのみやところ』。
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社殿両脇に安置されてある不明の石。
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