
鰺ヶ沢町七ツ石町。北は日本海、東は鮫戸橋を隔てて田中町、西は本町、南は七ツ館館跡がある丘陵(弘前藩第3代藩主信義の弟である百助信隆が館主。貞享4年検地水帳に古館とあります)。

当町南部にある滝広山(はじめは合浦山)高沢寺は創建は南北朝時代、道叟道愛を開祖とします。道叟は享禄3年(1530)薬師山に道場を開き、永和元年に鰺ヶ沢で遷化。


元和元年全室廊応により再興され、当時は米町にあったそうです。文化4年(1807)の山崩れによって全壊し、同8年(1811)に当町に再建。曹洞宗。

現在の本堂は慶応3年(1867)に再建され、入母屋・銅板葺・正面千鳥破風・桁行12間・正面棟唐破風向拝付、屋根の垂木が縄で結ばれている事から「縄からがきの寺」の別称があるそうです。

鐘楼。



地蔵堂。

瀧廣観音。

塩越屋羽扇墓。


『塩越屋羽扇は、江戸時代後期の鰺ヶ沢の俳人で松本禽翁の門下。塩越屋は新地町で遊郭を営んでいた。羽扇の俗名は不明である。菅江真澄の旅日記「にしきのはま」に出てくる塩越屋古燕は羽扇の妻女とみられる。安永8年(1779)に没しており、墓石には「本来にかへる姿や冬木立」の辞世の句が刻まれている。現在、墓は無縁墓となっている。』

本堂背後には瀧廣園と呼ばれる西浜地方屈指の規模と景観を誇る武学流の造りの池泉回遊式庭園があります。


美しいですね。


中島にある芭蕉句碑。




『天保3年(1832)、高沢寺17世斯文和尚によって建てられた松尾芭蕉の句碑。大石武学流の造りである高沢寺庭園の池島に建っている。芭蕉の「名月や池をめぐりて夜もすがら」の句が刻まれている。斯文和尚は俳人としても知られる。この句碑は、その後、長い間土中に埋められていたが、大正5年(1916)に町内の俳人らの尽力により再建された。』

他にも句碑がありました。『山寺越訪へは人なし梅の花』蛙面水。

大正9年8月建立。

『いのちある ものみな美し 癒えてむく 雑木林に 霧氷咲くなり』鎌田純一。

平成4年建立。

観音様。



二十三夜塔。

もくげんじ。

『種子は球形で、堅く黒く、しばしば数珠として使われた』

イトトンボ。

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