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御祭神は譽田別尊。
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創立年月日は不詳。
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延暦年間に坂上田村麻呂建立という伝説はあります。
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杉館村は非常に古い集落で、正平15年(1360)6月5日の北畠顕信教書(盛岡南部文書)にある「津軽田舎郡冬井日野間両郷」の冬井郷を杉館にあてる説もあります。
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貞享4年検地水帳によりますと、村抱えの八幡社地が2ヶ所みえます。宮元の八幡宮は正徳3年(1713)に氏神となり、天明2年(1782)に滝元地内の八幡宮を合祀。また、長年滝本の地に祀られていたものを正徳3年に現在地へ遷し、かねてより廃社となっていた八幡宮を合祀したとも伝えます。
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弘化4年(1847)4月に社殿を再建し、村中にて産土神として深く崇敬。明治6年村社、明治44年神饌幣帛料供進神社指定、昭和22年宗教法人八幡宮。明治初年には相殿として稲荷神・保食神が記されています。
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拝殿内正面に「挙村敬神」の扁額が見えました。従三位岩倉具徳(岩倉具視の孫)の書です。
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さて、住所からもわかるように杉館が八幡宮付近に築かれていたと考えられていますが、詳細は不明で特に遺構も残っていません。杉館東方の古宮は約800年前からの住居跡で京都付近で製造されたとみられる陶器も出土。大光寺に居城していた安東氏に関係があると思われます。
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村社八幡宮社殿新築記念碑。ちょっと読みにくいです。一部の文字が読み取れず、間違っているかも知れませんが、幸い内容については分かります。
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『當社ノ御祭神ハ誉田別尊ニシテ御創立ノ年代ハ不詳ナレド傳説ニ延暦年間坂上田村麿ノ勧請ナリト云フ上代ヨリ庶民ノ信仰殊ニ厚ク當村字瀧本ノ地ニ久シク祀ラレテ天明壬寅年現地ヘ社殿ヲ造営シテ奉遷シ爾来當村ノ氏神トシテ深ク崇敬スルニ至ル明治六年村社ニ列セラシ同四十四年九月八日神饌幣帛料供進神社ニ指定セラル昭和十年社地椄績ノ田地ヲ献ジテ境内ニ編入シソテ神域ヲ○○ノ東ニ参道ノ整備及ビ社殿改築ノ計劃ヲ樹テタルガ昭和十年八月十日畏クモ秩父宮殿下ニハ弘前歩兵第三十一将隊大隊長ニ御着任セラレ翌十一年十二月三十日迄御勤務遊バサレタルヲ永久ニ記念スル為昭和十二年二月社殿新築ノ議ヲ決シ三日工事ノ認可ヲ得三月十五日御霊代ヲ相馬義禮宅御○殿○○四月三日地鎮祭並ニ起工式ヲ齊行シテ直チニ施工御本殿及ビ玉垣ハ五月二十九日拝殿ハ六月十八日滞リナク竣工ヲ告ゲ七月二十一日本殿遷座祭ヲ奉仕シ翌二十二年御例祭及ビ御神楽四家ノ舞ヲ奉納シテ御神恩ヲ拝謝セリ茲ニ碑ヲ建テ右大要ヲ記シ奉リテ之ヲ永代ニ傳エントス昭和十二年旧六月十五日杉館村中奉建』
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手水舎など。
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狛犬二対。
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御大典紀年青森県消防義會の記念碑。
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こちらはただの岩だと思ったら、明治41年の「東宮殿下行啓記念」奉納物でした。
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