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旧岩崎街道に沿う高台上にあります。案内看板より…『東・西・北の三方が急崖に囲まれた丘陵上に築かれた中世の山城。城の主な構造は二つの主郭、南側の幅約50mにも及ぶ大規模な五重の空堀、腰郭などからなる。嘉吉3年(1443)南部氏に敗れた安藤氏は十三湊を廃棄した後に領地回復のため度々津軽に上陸し、南部氏と抗戦した。享徳2年(1453)安藤義季が狼倉で敗死し、安藤嫡流が断絶した後も残党が深浦に城を築いて抵抗した。元城はその際の深浦館と考えられている。』
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wikipediaより…『深浦港の南方500mの沢に挟まれた丘陵端に位置する。南方に5本の空堀があり、他の三方は沢に続く急斜面となっている。曲輪は2つあり、北側の一段高い位置に東西33m、南北88mの主郭がある。二の郭は東西80m、南北100mほどの規模だった。南部氏によって所領を失った安東氏が当地に来て再起を図り、当城を築いた。その後、葛西頼清が本拠とした。最後の城主は千葉弾正で、戦国時代まで使用されていたものと推測される。』
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深浦町誌より…『其由緒に就ては、永正年間木庭袋氏居城し、後千葉弾正之に代ったとも云し、或は天文年間秋田城介(千葉弾正とも云ふ)立籠って種里城主光信のために落城に及んだとも伝いて居る。而して、本城々主落城の節財宝を本丸の井戸に投じたということ。其の中には黄金の鶏があって今もなを蓋石の下で時を告げておると云うこと。其の後この城で蛇體があらわれたりして遂に人も往かざるに至った等の虚誕の事までも附会されている。』
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周辺からは中国産の青磁・白磁、瀬戸焼、越前焼の陶磁器が採集されています。
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元城龍神宮(龍神様。御祭神は少童命。祭祀は土岐家継掌)。創建不詳。由緒…葛西木庭袋土佐守信義の居城のち、千葉弾正の居城の跡地にあり、土岐家が代々崇敬し祀っているものの、近年はお祭り等を行っていません。
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途中までは行ったのですが、参道の状態があまりに悪かったので断念いたしました。
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