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天保郷帳によりますと、八幡宮地5間×4間、惣染堂地5間×3間が見え、貞享4年検地水帳によりますと、村抱えの観音堂地4歩、八幡宮地20歩がみえます。昔は江戸への献上品として煮た蕨の塩漬の樽詰が送られています。
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旧村社の八幡宮は川辺にあって村の氏神であり、丹波館主小国丹波が勧請したと伝えており、正長7年(1434年・永享6年)銘の鰐口が残っていました(※明治34年の火災で焼失)。丹波没落後は荒廃し、元文元年(1736)に村中にて再建し氏神になります。
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なお、上記の惣染堂(観音堂)は馬頭観音堂のことですが、明治初年の神仏分離の際に保食神社に改称しようとしたものの、許可されずに廃堂になったといいます。当八幡宮にある御神馬や拝殿内にあるたくさんの馬の絵は、その惣染堂との関連しているのかも知れません。また、事前の調べでは境内に竜神様の祠があるとのことでしたがありませんでした。小国地域の屋敷神には竜神様が多いそうです。
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小国温泉誕生記念(明治百年を迎へてとありました)。
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庚申塔(紀年銘寛政)。
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