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天保郷帳によりますと、八幡宮地5間×4間、惣染堂地5間×3間が見え、貞享4年検地水帳によりますと、村抱えの観音堂地4歩、八幡宮地20歩がみえます。昔は江戸への献上品として煮た蕨の塩漬の樽詰が送られています。旧村社の八幡宮は川辺にあって村の氏神であり、丹波館主小国丹波が勧請したと伝えており、正長7年(1434年・永享6年)銘の鰐口が残っていました(※明治34年の火災で焼失)。丹波没落後は荒廃し、元文元年(1736)に村中にて再建し氏神になります。なお、上記の惣染堂(観音堂)は馬頭観音堂のことですが、明治初年の神仏分離の際に保食神社に改称しようとしたものの、許可されずに廃堂になったといいます。当八幡宮にある御神馬や拝殿内にあるたくさんの馬の絵は、その惣染堂との関連しているのかも知れません。また、事前の調べでは境内に竜神様の祠があるとのことでしたがありませんでした。小国地域の屋敷神には竜神様が多いそうです。
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鳥居(昭和37年6月15日、小国村中建立)。御神馬(昭和30年旧3月15日)。狛犬一対(昭和10年旧2月15日白戸幸右エ門、石工工藤定)。石灯籠一対(昭和12年6月15日白戸善衛門)境内右手に宝物庫があります。
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竹館村誌より…『一、祭神 誉田別命 一、由緒 正長七年四月当地館主小国丹波 城内安全の為八幡宮を勧請し社殿を建立鰐口一ヶ寄附の所丹波没落に付元文元年五月村中にて社殿再建鰐口は宝物として今に遺り置けり故事あるを以一村産神と崇敬仕来り今以無格社なれども神事祭祀無怠勤行せり…』。弘藩明治一統誌より…『旧平賀郡小国村八幡太神 祭神誉田別命 当社ハ正長七年四月当地ノ館主小国丹波城内ヘ勧進セシ所 丹波子孫ニ至リ没落ニ及ビ氏子之ヲ祭祀 明治九年十二月村社ニ入ル…』。南津軽郡是より…『村社八幡宮 誉田別尊 六月十五日 同竹館村大字小国字川辺 正長七年四月当地館主丹波城内ヘ勧請八幡神社ナルヲ丹波没落ニ付元文元年ヨリ小国村中ニテ社殿再建…』。藩内神社調(明治4年)より…『小国村 並勤長利其江 一、八幡宮当村産神 一、祭神誉田別尊 一、祭日五月十五日 右者元文元年五月勧請 一、本殿三尺四面板葺 一、佐屋三間ニ二間萱葺 一、鳥居三ヶ宇 一、社地五間×四間 一、造営当村中ニテ 一、藩庁マテ七里…』
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小国温泉誕生記念「明治百年を迎へて」(昭和43年10月14日、主宰白戸幸右エ門ほか。)
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庚申塔(寛政18年8月19日講中)
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