イメージ 18
御祭神は市杵嶋姫命。
イメージ 16
イメージ 17
青森県神社庁HPによりますと、文明年間(1469-1487)、浅石城主千徳左衛門政久の家臣中河隼人が社殿を建立して弁才天を勧請。
イメージ 15
大永3年(1523)、中河村の産土神となりますが、慶長2年(1598)浅石城落城により廃社。寛永元年(1624)、村中にて社殿を再建し、文珠菩薩像を奉斎して弁天宮と称します。安政2年神社書上帳には文殊堂(境内東西八間南北五間)と弁天宮(境内東西拾弐間南北七間)が記されています。
イメージ 14
明治3年、菩薩像を弘前市最勝院に納め、明治6年には追子野木村稲荷神社に当村の胸肩神社が遷されたとあり、神仏分離によって弁天宮を胸肩神社に改称したと見られます。胸肩神社は後に復社。
イメージ 13
鵲(カササギ)の池由来…『鵲は九州の佐賀平野に棲息する天然記念物の鳥で、別名カチガラスとも呼ばれる。古来この鳥は神の世界と人間の世界を往き来する「神使」といわれ、また、七夕伝説の牽牛と織女との仲立ちをする鳥としても知られている。この由来から当神社の神様と氏子の人達との仲をとりもって、益々の御神徳を授けて下さることを願ってこの池の名前を命名した。』
イメージ 12
天皇陛下御即位六十年記念「鵲の池」碑。
イメージ 11
で、池はどこ?(笑)
イメージ 9
イメージ 10
諏訪神社(文珠堂)。
イメージ 7
イメージ 8
本地仏文珠菩薩。貞享4年検地水帳によりますと、中川村抱えの牛頭天王(16坪)・熊野堂(6畝18歩)・薬師堂(1畝10歩)・文殊堂(1畝10歩)・弁天堂(2畝24歩)がみえます(※追子野木沿革史によりますと、牛頭天王と熊野宮は久米村の産土神で明治26年に久米に移転。統合して現在は南神社。久米村は中川村の枝村。)。また、浅瀬石川を水源とする諏訪堂堰があります。
イメージ 5
イメージ 6
標柱…『史跡 文珠社 浅瀬石地区史跡保存会 平成25年6月』
イメージ 4
忠魂碑。
イメージ 3
大碇常吉引退記念碑。
イメージ 2
社務所。
イメージ 1
イメージ 3
イメージ 2