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かつての沖浦村の枝村として葛川村や平六村が見えます。葛川村は享保年間(1716-1735)には折戸村とも呼ばれていたそう。支村として東方に平六があります。
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黒石城下までは遠く、道も険しかったことから、経済的には弘前藩領とつながり、浅瀬石川の橋を渡り、山道を琵琶平から小国村、更に国中と呼ぶ唐竹村や柏木町村に出て、産物を売り、日用品を買っていたそう。
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平六は江戸中期に拓かれたと考えられていますが、津軽為信と戦って敗れた南部一族の落人大光寺(北氏)六郎と住民の娘との間に生まれた平六という者が開拓したという伝承もあります。また、坂上田村麻呂が蝦夷対戦に平地を目指して進軍中に、方角を占ったこの地を平陸(へいろく)と命名し、これが平六に転訛したという伝説も残っています。
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砂子沢にある大山祇神社はかつて山神堂と称していました。
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明治初年に改称された大山祇神社は平六神社とも呼ばれています。
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